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2005.03.30

指先の快感

ギター教室に行くたびに先生に注意されることがある。左手の押さえ方。

「もっと指を立てて、指先で弦を押さえてください」
「指の付け根から弦を押さえるつもりで」
「指先が体の中心に向かう角度が理想的です」

という具合に、左手の指の形を毎回直される。先生の理屈はなんとなくわかる。指を立てて指先で弦を押さえる方が効率的に力が働いて、楽に抑えられるはず。おそらく、指の動きも自由になる。その理屈はなんとなくわかる。

でも、ギターを弾き始めて6年の間に身についてしまった、指を寝かせて押さえるクセは、ちょっとやそっとでは直らない。

最近は、きわめて素直でよい子の生徒のももこさんなので、なんとか左手の悪い癖を矯正しようと努力を続けているところである。「ギターを弾いていて、自分の指先が見えるようではダメです。爪が見えるようにして押さえてください」という先生の言葉を思い出しながら、「爪を見よう、爪を見よう」と唱えながら繰り返し、宿題を弾いてみる。

慣れ親しんだ悪い押さえ方から、「爪が見える」押さえ方に変えようとすると、そのとたんに弾けなくなるのが悲しい。今まで通り、指の腹でテキトーに押さえていれば、テキトーに弾いていても、指はテキトーに弦に当たってくれるので、テキトーに曲を弾くことができる。ところが、指先というのはとても面積が小さい。指の腹に比べたら「点」みたいなもので、その指先で正しい弦を押さえようとすると・・・・

命中しない!!!

のです。悪い指の形ではけっこう弾けていたところも、正しい指の形にすると、ぜーんぜん指が押さえるべき弦に当たらない。あれ? あれ? の繰り返しで、だんだんイライラ・・・悲しくなってくる。

でも、最近は、とても熱心で素直な生徒のももこさんなので、弾けなくても投げ出さずに、「爪が見えるように、爪が見えるように」と呪文を唱えながら練習するのです。

なんて忍耐強いのだろう、と自分で自分を褒めてあげたくなります。

最近、この「爪が見える」指の形の中に、ひそかな快感を見出しました。それは・・・指先がうまく弦に当たった瞬間に、まるで指先をマッサージされているような心地よさがあるのです。爪の際が弦に当たった瞬間に、心地よい刺激があるのです。その快感を味わいたくて、一生懸命練習していたりして・・・・

そうか。正しい指の形って気持ちいいことなんだ! それを先に教えてくれれば、もっと早く、「爪が見える」正しい弾き方の練習を始めていたのに・・・


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2005.03.29

リクエストのおかげで

1月の喫茶店ライブの時にリクエストされた「百万本のバラ」。なんとか2ヶ月間で覚えて3月のライブでお披露目したのだのだけれど。実は、もう一曲リクエストがあったのでした。

「ももちゃん、"ジャニー・ギター"歌ってよ。ギターといえば、"ジャニー・ギター"だよ、ジャニー・ギター!!!」と、いつも聞きに来てくださるおじさまが迫ってくる。

はあ? ジャニー・ギター?
「そうそう、ペギー・リーが歌ってたジャニー・ギター」
ペギー・リーもジャニー・ギターも聞いたことがない。「マスター、知ってる? ペギー・リーのジャニー・ギターって???」
「知ってるよー。大砂塵だろ?」
どうやらおじ様達には懐かしい歌らしい。
ペギー・リー・・・ジャニー・ギター・・・大砂塵・・・おじさまたちよりはちょっぴり後に青春時代を過ごしたわたしにはチンプンカンプン。とりあえず、リクエストは一回に一曲受付ることにして、謎の"ジャニー・ギター"は忘れていただくことにしたのでした。

数日前、ふと思い出して、"ジャニー・ギター"をインターネットで検索してみると、ペギー・リーの歌声を聴けるサイトにたどりつきました。

ジャニー・ギター。
Johnny Guitar という名のさすらいのギター弾きが登場する1954年のアメリカ映画「大砂塵」の主題歌だそうな。タイトルの通り、砂嵐の中をギターを背に馬で旅するJohnny Guitar がさっそうと登場するらしい。

1920年生まれの往年のスター歌手(だそうな)、ペギー・リーが歌うJohnny Guitar. 西部の荒野を馬に乗って去っていく(映画にそういうシーンがあるかどうかは知らないが)男の背中が似合いそうな哀愁漂うメロディ。合間に少しだけ入るギターソロが涙をさそう。そして、ペギー・リーのハスキーな歌声。西部劇のエンディングにあまりにもふさわしい歌だった。なるほど、これはおじさんたちが懐かしがるのも無理はない。そう思える歌である。

このサイトでは、ペギー・リーの歌がもう一曲聞けるようです。それは Fly Me To The Moon.  これならわたしだって知っています。ジャニー・ギターを哀愁漂わせて歌っているペギー・リーが歌うFly Me To The Moon はどんなだろう? 

聞いてみて驚いた。なんと優しく、ロマンチックに歌うことか! 西部の荒野に流れるジャニー・ギターとは別人のようにさえ聞こえる。

そして、さらに驚いたこと。それは歌詞だった。わたしの知っているFly Me To The Moon は、そして、たいていの人が歌っているのも、"Fly me to the moon and let me play among the stars..."と始まるものだ。ところが、ペギー・リーの歌には、この前にさらに歌詞があった。


 詩人は、簡単なことを言い表すのに
 言葉をたくさん使う
 詩を歌にするには、
 時間をかけて詩を読み解かないといけない

 あなたのために新しい歌を作った
 あなたが、わたしの言いたいことを
 ちゃんとわかってくれるように
 歌いながら意味を説明してあげよう


なるほど。この歌は、詩的な表現と、それをシンプルな言葉に言い直した注釈との繰り返しという構造だったのか! 


 わたしを月に連れて行って。
 そして星たちの中で遊ばせて。
 木星や火星の春を
 わたしに見せて

 わたしの言いたいこと、わかるかしら?。
 わたしの手を握って。
 わたしにキスして・・・
 っていう意味よ。


ももこ風に訳すとこんな感じ。なんてかわいらしい詩ではありませんか。

実は、このFly Me To The Moon という歌。きれいな歌だけれど、いまひとつ歌詞がピンとこなかった。なんだか言葉だけで遊んでいるような歌に聞こえていた。まあ、時にはジャズ風に、時にはボサノバ風におしゃれに歌うのならば、別に歌詞の内容がどうでもあまり関係ないのかもしれない。実際、耳に心地よい響きを楽しむための歌はいくらでもあるのだから。そう思っていた。

でも、このペギー・リーの歌うFly Me To The Moon の歌詞を聴いて、ああ、この歌は茶目っ気のある、そしてとってもロマンチックなラブソングなのだと初めて知ったのでした。

ジャニー・ギターというリクエストをいただいたおかげで、また一つ、かわいらしい歌に出会いました。やっぱり、いただいたリクエストはおろそかにしてはいけないのですね。

でも・・・"ジャニー・ギター"は途中にギターソロを入れないとカッコがつかないし、そんなムズカシイことはわたしには弾けないし、そもそも、西部の荒野に似合うような歌はわたしには歌えないし・・・・かわりに Fly Me To The Moon で喫茶店のおじ様たちは許してくれないかなあ・・・無理だろうなあ・・・やっぱり、ジャニー・ギターのリクエストは忘れちゃったことにしようっと。

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2005.03.23

海の上のボサノヴァ

去年の秋。区民センターの朗読教室に通っている母から「ボサノバのCD、持ってない?」と聞かれた。いったい何に使うの?と聞いたら、同じ朗読教室の生徒さんが発表会でボサノバが出てくるお話を読むそうで、その時に流すのはどんな曲がいいのかわからなくて困っているのだ、という話だった。「女の人がギターを弾いて歌っているのがいいらしい」ということなので、"ボサノバのミューズ"ナラ・レオンのCDをお貸しすることにした。

ボサノバが出てくるお話。いったいどんなものなのだろう? 母も出演することではあるし、発表会をたのしみに聞きにいった。

朗読されたのは「海の上のボサノヴァ」という短編だった。

長距離フェリーのラウンジで偶然耳にしたボサノバの弾き語り。その優しく柔らかい歌声に魅了されつつも、物音や話し声の絶えない船上のラウンジで、彼女はなぜ優しい歌声を保っていられるのか、不思議に思って演奏の後で聞いてみる。そうすると、彼女は、「音楽は、聞きたい人の耳にも聞きたくない人の耳にも、その場に居合わせるすべての人の耳に平等に聞こえるからすばらしいのだ」と答える、というお話だった。

いい話だな、と思った。その場に居合わせた人の耳にふと届くような歌。わたしもそんな歌をうたえるようになりたい、と思った。

それから数ヶ月経ったある夜。飲み屋さんでのライブの帰り道。すっかり自信を失って重たい足取りで家路をたどりながら、この短編を思い出した。海の上のボサノバ。フェリーのラウンジで軽やかにうたう彼女は何を語っていたのだろうか? 朗読を聴いたときには聞き逃したメッセージがあるかもしれない。本屋さんでその本を買ってきて、自分の目で彼女に出会いたいと思った。

彼女は語ってくれた。


 音の響く空間にいる人には届くもの、それが音楽です。・・・空気は、生きてる人間には平等に吸える。・・・その空気の揺れが音楽なんです。だから、わたしは歌う時、音の届く所にいる人は、皆、お客さんだと思っています。仲間なんです。聞くつもりはなくても、そういう人も、わたしと同じ空気を共有してる。生きているんです。
 わたしは歌うたいです。
 だから、そういうことを大切にしたいんです。鳥が鳴くみたいに、風が鳴るみたいに、迷いなく歌いたい。音だけは、そこにいる人、皆が共有するものだっていう当たり前のことを大切にしたいんです。・・・
("海の上のボサノヴァ"  北村薫 「語り女たち」 新潮社)

わたしは、虚を突かれたような想いがした。去年の秋、この短編を聞いたときは、「通りがかりのひとに聞いてもらえ歌が歌えたらいいだろうなあ」と漠然と夢見る自分と、フェリーのラウンジで優しげな声で歌う彼女の姿を重ねてイメージしていた。しかし、彼女は、なんと芯の強い歌うたいだったことか! 「鳥が鳴くみたいに、風が鳴るみたいに、迷いなく歌いたい。」と言う彼女には、柔らかな声の中に、自分の世界、自分の音楽が確かにあるのだろう。どこで歌っていてもわたしはわたし、わたしの歌を歌うだけ。そんな彼女の、いつでもありのままの自分でいられる強さに打たれてしまった。

ファミリーレストランの片隅で静かに歌いながら、この歌はいったい何人の耳に届いているのだろうか、と心もとない思いをいだいた。飲み屋のライブで、にぎやかに飲んでしゃべるお客の背中を見ながら、ここで歌っている意味はいったい何なのだろうか、と気持ちが揺らいだ。「居合わせた人の耳に届けばいい」と言いながら、やはり、歌うからには聞いて欲しいという気持ちでいた自分に気づく。歌う機会に恵まれて、いろいろな場で歌うとき、その場の風景の中で、自分のままで迷いなく歌い続けるには、自分の足でしっかりと立ち続ける強さが必要なのだと思った。

きょうも、彼女はフェリーのラウンジで、柔らかい声でボサノバを歌っているだろうか。ものめずらしげに寄ってくる子供に笑いかけたり、客席の話し声やラウンジを出入りする人々を眺めながら、自分の歌を歌っているだろうか。そして、かすかに、でも確実に、その場の空気を震わせているのだろうか。

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2005.03.22

餃子はみんなで作ってみんなで食べるもの

餃子といえばフライパンで焼くものしか知らなかったわたし。留学生に茹で餃子をご馳走になったときはその美味しさに感動してしまった。

一度目は中国からの留学生。日本語がまだあまり流暢ではないせいか、授業中はおとなしい彼が、留学生寮にクラスメイトを招いての「餃子パーティー」の日には大活躍。小麦粉を練って小さな団子を作って、テーブルの上で丸く伸ばして皮を作る。「中国では、お父さんもお母さんも子供も家族みんなで餃子作って食べる」と話しながら、みんなに作り方を教えてくれた。皮から手作りした茹でたての水餃子は、本場中国の味だった(のだと思う)。

二度目は台湾からの留学生。「餃子をいっしょに作りましょう」と誘われて、彼らの部屋に遊びに行った。「ももこさん、キャベツを切ってください」と言われたので、わたしにしてはかなり細かく刻んだつもりで彼に渡すと、「これじゃ、ぜんぜんダメ。もっと粉のように小さく小さく切ってください!」とダメだしされて、刻みなおしたのでした。そして、テーブルの上にガスコンロを置いて、鍋料理のごとく、煮立ったお湯に次々餃子を入れて、茹で上がるそばから食べた。これがまた美味しい!

餃子はみんなで手作りして、焼きたて、茹でたてを食べるから美味しいのです。子供のころ、母や姉と餃子の皮に具を包んだ夕方。ぶきっちょなわたしは母のように上手に包めなくて、皮が開いちゃったり、具がはみ出したり。計画性のない(?)母は、あるときはタネが余りそうになって「ふとっちょ餃子」をむりやり作ったかと思うと、あるときは中身が足りなくなって、限りなく平べったい餃子を作っていたっけ。そんないろんな形の餃子が、どんな風に焼きあがってくるのかが楽しみだった。「あ、これがわたしが包んだ餃子だ!」なんて言いながら、パクパク食べてた夕ご飯。幸せな子供時代の思い出の一つ・・・

そういえば、我が家では餃子の夕ご飯の日はご飯は炊きませんでした。大人になってから、ラーメン屋の「餃子定食」というのを見たときには本当にびっくり。どんぶり飯に餃子が5,6個。スープにおしんこ。これだけです。なんて寂しい食事だろう。餃子は最低でも15個は食べないと。だいたい、餃子と言うのは、皮が小麦粉、中身は野菜とお肉なのだから、たくさん食べればご飯は炊かなくてもそれだけでりっぱな食事になるじゃないですか。

みんなで餃子を作って、焼きたてをモリモリ食べる家庭はきっと幸せ一杯のおうちです。そんな家庭を夢見ながら、さあ、今度のお休みにはまたまた焼き餃子を作ってみようかな。

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2005.03.19

焼きたての餃子が食べたかったのです

数ある、いえ、数限りないももこの大好物の中でベストテンに入るであろう食べ物、それは餃子。
餃子は餃子でもただの餃子ではありません。餃子の皮を買ってきて、餃子のタネを混ぜ混ぜしてl、皮に包んで、フライパンで焼いて、焼きたたを醤油とお酢とラー油で食べる餃子でなければいけない! どんなに美味しいと評判のラーメン屋や中華料理屋の餃子よりも、うちで作って焼いたありきたりの餃子の方が美味しいに決まってる!

でも、ひとつ問題があるのです。うちで作って焼きたてを食べる餃子がいちばん!だったのは、母が現役主婦だったころのお話で、できそこない主婦のわたしには、美味しい餃子が焼けないのです。何度やっても餃子はフライパンにくっついて、「底なし餃子」の出来上がり・・・しかも上半分は生焼けだったりする・・・

もう、美味しい餃子は一生食べられないのだろうか? 底はカリカリっとキツネ色で、皮はモチモチと透き通って、中にははちきれんばかりの具がぎっしり! 子供のころしょっちゅう食べていた夢のような「餃子ディナー」は再現できないのだろうか・・・と思いつつ、ある日、テレビをつけたら、、「伊東家の食卓」で「失敗なく餃子を上手に焼く裏技」をやってるじゃないですか! 

途中から見たので今ひとつハッキリとはわからないのだけれど、どうやら、フライパンに餃子を並べたら水を餃子の高さの半分まで入れて、沸騰したら水を捨てて、餃子の底がパリッとするまで焼く、という方式らしい。普通は、最初にある程度焼いてからお湯か水を入れて蒸し焼きにするのだけれど、この「裏技」方式ならば、最後に水分を飛ばすので失敗なく美味しく焼けるということでした。

あ、これなら、ぶきっちょ半人前主婦のわたしにもできるかも!! 今度のお休みの日は餃子を作るぞ!!

そして待ちに待ったお休みの日。さて、餃子の材料って何だっけなあ・・・ とレシピを検索してみたら、こんなものが出てきました。

餃子レシピ算出システム!!!!!

作りたい餃子の個数(それも、普通のサイズか大判の皮かが選べる)を入力すると、キャベツ、ひき肉、ニラ、白菜、ニンニクの必要なグラム数が自動的に表示されるというサイト。たとえば、普通サイズの皮で40個の餃子を作るには、キャベツ280グラム、挽肉200グラム、白菜40グラム、ニラ120グラム、ニンニク80グラムが必要、とたちどころにわかっちゃうのです。

なんとも、便利で、愉快で、食欲と笑いがこみ上げてくるシステムじゃありませんか。こんなモノをみつけてしまったら、餃子を作って食べずに済ますわけにはいきません。

さあ、お買い物! キャベツに白菜、豚の挽肉、ニラ・・・ニンニクは買い置きがあったっけ。
そして、CDを聞きながら、皮にタネを包んで餃子の形にしていきます。40個の餃子が並ぶとなかなか壮観! これがぜーんぶ、熱々、焼きたての餃子になると思うと、焼く前からよだれが出てきちゃいます。

いよいよ、フライパンを火にかけて・・・・フライパンをよーく熱して・・・

これが混乱のもとでした。よくよく熱したフライパンの上に餃子を並べて、「伊東家の食卓」の裏技どおりに水を餃子の半分の高さまで入れると・・・・予想外のことが(冷静に考えれば当たり前のことが)起こりました。水はアッという間に沸騰しちゃうじゃありませんか!!

え? え? え? これじゃ、餃子に火が通るわけがない! どーしよー! どーしよー! 予定外の展開にわたしは大慌て。えーと、えーと、とりあえず、フライパンにふたをしてみよう! とりあえず、火を弱めてみよう。とりあえず。とりあえず、あとはどうすればいいんだろう???

そして、数分後、嗅ぎなれた匂いが漂ってきました。焦げ臭い・・・・おそるおそる蓋を取ってみると、フライパンのお湯はすっかりなくなって、餃子たちは固く固くフライパンに焦げ付いていたのでした・・・・
その焦げ焦げ餃子をやっとこさっとこフライパンから引っぺがして、その日の夕ご飯は、裏業でもない、表技でもない、悲しい出来そこない餃子ディナーと相成ったのでした。

それにしても、伊東家の食卓の裏技。見逃してしまった最初の手順は何だったのだろう? わたしの推測では、フライパンに餃子を並べて水を入れてから火にかけて、沸騰したら水を捨てる、というのが正しい「裏技」たったのではないかと思うのです。でも、もう一度試してみる勇気が、当分はわいてこなさそうです。

ああ、焼きたての美味しい餃子が食べたいなあ!


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2005.03.13

沈丁花の香りがうとましい夜

ライブの帰りはいつも遅い。
最寄り駅に着くのが12時半過ぎ。そこから徒歩20分。
楽しいライブの日には、歌いながら大通りを歩く。
思うように歌えなかった夜は、背中のギターが重たくて、足をひきずるようにして我が家に向かう。

昨夜は、20分の道のりが長かった。
わたしの歌なんて、あってもなくてもどうでもいいものなのに、いったい、こんな夜中までわたしは何をやっているんだろう。不本意な歌のあれこれが頭に浮かぶ。雨上がりの夜、片手に持つ傘さえが恨めしい。

ため息をつきながら大通りから細い道に曲がると、通り過ぎようとした植え込みから沈丁花の香りがただよってきた。

沈丁花。見た目は地味な花。もし、その匂いがなければ、誰も咲いていることに気づかないだろう。でも、沈丁花の香りは、確実に通りがかる人に春の訪れを教えてくれる。一年に一度だけ、冬はもう終わりですね、とささやきかける。

ありふれた植え込みからただよってくる湿った沈丁花の香り。こんな地味な花にも確実に役割がある。人々に送る香りがある。

ああ、わたしの歌には、通りがかりの見ず知らずの人の耳に届く何かがあるのだろうか。

遠ざかっていく沈丁花の香りを感じながら、やりきれない思いで暗い路地を曲がってみた。

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2005.03.11

今夜もCARINHOSOを歌いたい!

友人の弘美ちゃんの「CD発売記念ライブ」に行ってきた。今月一杯で休業してしまうブラジル音楽と料理の店、コルコバードには、友人達が大勢駆けつけた。暖かい雰囲気の中で、サンバの先生、加々美淳さんとのデュオのライブが始まる。

相変わらず、ありのまま、いつものままの弘美ちゃんのライブ。ことあるごとに加々美さんを振り返りながら愉快そうに、気持ちよさそうに次々と歌っていく。

そして、最後から2曲目の歌は、CDのタイトルになっている曲、CARINHOSO。

弘美ちゃんはこの歌とともに歩んできたと言ってもいいかもしれない。この歌を歌いたくてギターを弾き始めたのではないだろうか。

「歌をうたうときはさ、男の一人や二人を引っ掛けるつもりで歌ってよ」と先生に言われ、「あっちの世界に行っちゃって!」と先生に促され、三軒茶屋のカレー屋さんで、「あっちの世界に行けるようになろう!」と決心した。

ギターを弾き始めて間もないころに、難しいコードが並ぶこの曲を、何時間もかけて先生に弾き方を教わった。それ以来、おそらくこの歌を歌わなかった日はないだろう。

去年の8月、ブラジルのサルバドールのショーロのセッションで、「わたしはこの歌をブラジルの皆さんといっしょに歌いたい」とポルトガル語で自己紹介して歌ってきた。会場じゅうのブラジル人の大合唱と歌い終わったあとの大歓声は、彼女の一生の宝になった。

彼女の歌うCARINHOSO。その魅力は、暖かさと聞き手との一体感。彼女が歌いだすと、いっしょに歌いたくなる。そして、みんなが歌いだすと彼女の歌はますます生き生きとする。

CDの発売は4月2日。「わたしのいちばん好きな歌です」と言ってCARINHOSOを歌っては、CDを一枚、一枚売っていく弘美ちゃんの、いつものまま、ありのままのライブがこれからも続く。

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2005.03.09

わたしの目の前は真っ黒だけど

視力の弱いわたしは、パソコンの画面を自分の見やすい設定にして使っています。

Windowsには、障害を持つ人のための設定をする「ユーザー補助」という機能があります。わたしは、この中から、画面の設定を「ハイコントラスト黒 特大のフォント」にして画面を見ます。マウスのポインターの矢印も「特大」です。また、Internet Explorerのフォントも「大」を選んでいます。

つまり、わたしのパソコンは、真っ黒の画面に白くて特大のフォントの文字が並んでいるのです。メールソフトも、ブラウザも、ワードもエクセルも。

もちろん、このブログも黒バックに白い特大フォントの文字で見ています。弱視のわたしの目に優しい、快適な画面表示です。
でも、きのう、自分のブログを見ていて思いました。このブログは、弱視ではない人たちはどのように見ているのだろうか? 
ユーザー補助の画面設定は、ワンタッチで解除できます。ためしに自分のブログを普通の状態で見てみました。うーん。シンプルでわかりやすい、っていえばわかりやすいけれど、なんだか、味も素っ気もないデザインであることを初めてしりました。

これはいかん! かわいい(?)ももこさんの日記は、かわいくなければいけない。でも、ごちゃごちゃしたデザインでは、書いているわたしが見づらくて困る。ブログの設定のメニューをいろいろ見てみると、色を選べることがわかりました。そして、選択肢の中に「桜」というのを発見。これはいいかもしれない。「桜」に設定してみると、なかなかきれいな薄いピンク色の画面に切り替わりました。春らしいし、わたしらしいし、いい感じ。これならば、見にきてくださった方々も、ももこらしいと思ってくださるに違いない。

と、ももこらしい画面を確認したところで、もう一度ショートカットキーを押して、いつもの黒バックに白い特大jフォントの表示に切り替えたのでした。わたしが見ている画面は黒いけど、みんなが見てる画面は桜色!と思うと、文章をつづるのが以前よりも楽しくなりました。

そうそう。パソコンを長時間使う方へ。もしも、画面がまぶしかったり、目の疲労が激しいようでしたら、「ハイコントラスト黒」という画面のデザインを試してみることをお勧めします。この状態ですと、背景が黒、文字は白ですが、文字サイズや画面のレイアウトは普通の設定と変わらないので、いつもの通りに操作できます。眩しさがカットされて、目の負担が軽減されますよ。

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芋けんぴの誘惑

「お徳用」に弱いんです。
スーパーに買い物に行くと、お徳用の袋詰めやパック詰めに引き寄せられちゃうんです。
ずっしり詰まったお菓子や乾物や塩鮭や・・・の「お徳な」目玉商品に目がないという、スーーパーのもくろみにまんまと乗っかってしまう愚かな消費者なんです。

一週間ほど前、また、見つけてしまいました。
お徳用のお菓子の袋!
中身は「芋けんぴ」。
サツマイモで作ったかりんとうです。
サツマイモと言えば鹿児島県のお菓子かと思ったら、高知県の名物だそうです。
高知にはけんぴ屋なんていう専門店まであるそうですが、どこのスーパーでも普通に売っているお菓子です。ほんのりサツマイモの甘さと、かりっとした歯ごたえの素朴なお菓子。わたしの大好物なのです。

手に持つと、ああ、重たい。400グラムも入っている! で、350円! 
これだけたくさん入っていれば、どんなに幸せが持続することか! 芋けんぴをぽりぽりする幸福を思いながら、かごに入れてしまいました。

それ以来。
夜遅く、なんとなくお腹が空いてくると、目は自然と芋けんぴの袋にいくのです。
ああ、食べたいなあ、芋けんぴ。
でも、もう歯も磨いちゃったし、お風呂にも入っちゃったし、それに、夜遅くお菓子を食べるのは美容と健康によくないし、このまま寝ちゃえばお腹が空いたのは忘れられるわけだし・・・でも美味しそうだなあ、芋けんぴ!

夜な夜な、芋けんぴの誘惑と闘っているももこです。


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2005.03.08

小鳥とコーラス!

きょうは暖かな春らしい一日だった。
あまりお天気がいいので、嬉しくなって、高田馬場から歩いて帰ってきました。
久しぶりに大通りを歌いながら歩きました。

そして、途中のスーパーで買い物をして、
我が家の近くまできたところで、
頭の上で、鳥たちの大合唱が聞こえました。

そこは、大きな社宅の庭と、小さな神社の間の道。
両側から大きな木の枝が張り出している道。
その木の枝高く、鳥達がそれはそれはにぎやかに鳴いていた。

ああ、春が来たのだなあ、と実感。
そして、やっぱり、あの歌をうたおうと思った。

「百万人の友達がほしい!」

♪草原が見たい
 歌をうたいたい
 けれど、ひとりでうたってもつまらない
 小鳥達とのコーラスがいいな
 
 この歌を届けてあげたい
 歌にあこがれている友達へ
 
 百万人の友達をつくろう!
 そうしたら、もっと力強くうたえるから!

小鳥達とコーラスなんて、歌の文句にしか出てこないでしょう、と思っていたけれど、
さっき、鳥たちの盛大なさえずりを聞いたら、おもわず、いっしょに春の空に向かってうたいたくなってしまった。

この歌をサンパウロで聞いたときは、本当にびっくりしてしまった。しかも、コンサート会場を埋め尽くした「いい年をした」ブラジル人たちが体をゆすりながら、無邪気に大合唱している。

この歌を覚えたのは、高校生の時に見ていたテレビの「スペイン語会話」。ラテンアメリカで流行った歌だという解説を聞いた覚えがあるけれど、まさか、サンパウロでみんながうたうほどポピュラーな歌だとは知らなかった。本当に、小鳥とコーラすするように無邪気に歌うブラジル人達の大合唱に包まれて、なんて楽しい人生を送っているのだろう、この人たちは!と嬉しくなってしまった。このコーラスの渦の中ならば、「百万人の友達を作ろう!」と歌うのは、ちっともうそっぽさがない。本当にそう思ってうたえる。

百万人の友達をつくろう!
この、陽気で壮大な(?)歌を、春風に乗って歌ってみよう。

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2005.03.06

背筋を伸ばして

たまに、ライブの時の写真を撮っていただくことがある。
ありがたいような、見たくないような。
何しろ、写真の中のわたしは、丸顔の近所のお姉ちゃんがかくし芸大会で歌っている、という感じで、ぜんぜん弾き語りっぽく見えない。

今まで撮っていただいた写真で、気に入っているものが一枚だけある。
6年前。ギターを弾き始めて2ヵ月後に、区民センターのお祭りのステージで、サンバ好きの仲間5人との演奏の中で、一曲、ひとりで弾き語りさせてもらったのだった。

歌ったのは、2ヶ月前に習ったばかりの「カーニバルの朝」。そのころお気に入りだった黄色いブラウスに白いズボン、肩まで伸びた髪が頬にかかって、ちょっといい感じに見える。そして、へたくそなギターで、ガタガタ震えながら弾き語りしているのに、途中から、うっとりしながら歌っている・・・そんな、自分の世界に入り込んでいるわたしが、けっこう美しく写っている写真。
写真はいいなあ、音がなくて! と思いながら、何度も眺めたものだ。

最近、パーカッションのお兄さんと二人で演奏している写真を見る機会があった。
そして、これは困ったことだと、けっこう真剣に悩んでしまった。

わたしは相変わらず、ご近所のお姉さんのかくし芸大会風なのだけれど、となりのパーカッションのお兄さんは妙にかっこいい。
これじゃ、釣り合いが取れないというか、わたしのかっこ悪さが目立つというか・・・

「あなただけかっこいいのは困るんだけど」とお兄さんに苦情を言ってみたものの、かっこいいのが大好きなお兄さんは、「かっこよすぎ」を反省するつもりはないらしい。

困ったものだと悩んでいると、今度は、二人のライブをビデオに撮ってくださる方が登場してしまった。恐る恐るその映像を見てみると、やっぱり、お兄さんは限りなくかっこよく、わたしは、演芸会のおばさんみたいで、みっともないったらありゃしない。

かっこいい人にかっこ悪くなれというのはしょせんは無理な話。かっこ悪いわたしがなんとかしなければならない。
何度も何度もその映像を見直して、対策を考えた。
そして、気がついたのです。
お兄さんは姿勢がいいのです。
一方わたしは、背中が丸まっていて、横からみるとおばあちゃん体型になってる。

それから機会あるごとに、ギターを弾くひとの姿勢を観察しました。
かっこよく見えるひとは、ことごとく姿勢がいい。背筋がまっすぐ伸びて、まっすぐ前を向いて演奏している。

視力が弱いせいか、何をするときも前かがみになってしまう。姿勢が悪いのは仕方がないことだとあきらめていたのだけれど、考えてみれば、ちょっとやそっと背中をまるめて目をギターに近づけたところで、それほど左手が見えるわけでもなく、背中はまっすぐ伸ばしたほうが声は出やすくなるわけで、姿勢がよいほうがかっこよく見えるのならば、気をつける価値はありそう。

そう気がついた日から、鏡に向かってギターを弾く練習を始めてみた。背筋を伸ばしてギターを抱えると、背中が丸い状態とは微妙にギターの位置がずれてくるので、けっこう弾きにくい。それに、ちょっと油断するとすぐ、背中は猫のように丸まってしまう。長年慣れ親しんだ「まあるい背中」とは、ちょっとやそっとじゃサヨナラできそうにない。

それでも、意識するだけで少しは違うのかもしれない。
2月のライブの写真を見てみたら、少しはマシに見えるような気がしたから。
いや・・・マシに見えるのは本当に気のせいかもしれない。
なぜなら、2月のライブの写真はひとりで写っているのです。
横にパーカッションのお兄さんがいたら、やっぱり、ももこはかっこ悪く見えるのかもしれない・・・


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2005.03.05

約束どおり

きょうは西巣鴨の喫茶店のライブ。
いつものおじ様、おば様たちが集まってくださって、なごやかな雰囲気の中で歌い始めた。

3曲歌ったところで。
「次に、1月のリクエストにお答えして歌います。と言うと、ここで、大きな薔薇の花束が差し出されるはずなんだけどなあ。。。花束、ないですねえ・・・」などとおしゃべりしていると、

「はい、ももちゃん!」と本当に差し出された! 
ミニバラの鉢植え!
赤とピンクの小さなバラの鉢植え。
うわ、本当にバラの花のプレゼントをいただいてしまった!

わあ、本当に覚えていてくださったのですねえ。
感激してしまいました。
そして、ここだけの話、三日前に覚えた「百万本のバラ」を歌ったのでした。

歌い終わると、リクエストをしてくださったおじ様と握手。
和服のおば様からは、「ももちゃんに合ってるわねえ」と言っていただき、
皆さんに「いい歌だねえ」と拍手をいただき、たぶん、きょう歌った曲のなかでいちばん評判がよかったようだ。

花束ではなくて、鉢植えのミニバラ。
お花はいただいてもすぐに枯らしてしまうわたしだけれど、この鉢植えのミニバラは大事に大事にしよう。バラの花をいただくなんて、めったにないことだから!!

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どこかで春が、は三月の歌

きょうはギター教室の日でした。

ああ、困ったなあ。
先週の土曜日に行ったばかりで、まだ宿題の曲は覚えていないし、音叉の使い方もチューニングの仕方も一通り先週教わっちゃったし、先生に提供するような話題もないし・・・きょうは何を教えてもらおうかなあ・・・

あ、そうだ!
そういえば、ギターの教則本の中に「どこかで春が」があったっけ。

「センセイ、きょうは『どこかで春が』を覚えて帰りたいので、教えてください!」
「はいはい、わかりました。」

というわけで、1時間かけて何度も何度も繰り返しセンセイと練習して、なんとか弾き方は覚えられたような気がした。

高い音がたくさん出てくる。
高い音がなんだかきれいに弾けないなあ、と思ってそこだけ弾いていたら、
「ももこさん、指の振りきりが遅いです。第一関節を曲げずに、すばやく振り切るようにすると、きれいな音色で弾けます」
なるほど。さすが、クラシックギターの先生は言うことが違う。

先生がお手本を弾いてくれる。
決して大きな音で弾いているわけじゃないのだけれど、一つ一つの音がきれいに響く。
同じギターでわたしが弾くと、プツン、プツンと切れ切れになる。しかもしょっちゅう間違える。

1時間、繰り返し練習して、音色はともかく、指の順番は覚えたようだった。
家に帰って30分ぐらい練習してみると、ゆっくりになら弾けそうな気がしてきた。

そして、夕方の西巣鴨の喫茶店ライブ。

「皆さん、こんばんは。きょうは、歌手のMomokoさんの前座でギタリストのMomokoさんが登場します。きょうを逃すと来年の3月まで弾けない曲を、きょうの午前中ギター教室で教えてもらったので、弾いてみます」と言ってから、弾き始めました・・・

どーこーかーで・・・あれ? 違った!
はーるーが・・・・あれ? どうだっけ?
ぜーんぜん弾けやしない。やっぱり1時間半で一曲弾けるようになるわけはない。
結局、歌手のMomokoさんに登場していただいて、「どこかで春が」を歌いました。
客席のおじ様、おば様たちのコーラスつきで。なんとも楽しいライブの始まりにはなったようです。

でも、悔しいなあ。
なんとか、三月のライブで登場させたいものだ。
ギタリストのMomokoさんの「どこかで春が」。

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2005.03.04

ショック・・・・

ジョゼ・ピニェイロの歌を思い出したら、彼の歌をむしょうに聴きたくなった。久しぶりに恵比寿の中南米音楽に行ってみよう。あそこになら彼のCDがあるに違いない。

恵比寿といえば、たしか揚州商人の恵比寿店があるはず。そうだ! 揚州商人で冬牡蠣ラーメンを食べてから中南米音楽へ! なんと理想的なコース! 山手線に乗ってお出かけ、お出かけ。

恵比寿駅から歩いて7,8分。初めて歩く道は遠く感じる。途中にトルコ絨毯のお店をみつけると、そういえばトルコ料理の”サバサンド”ってのも美味しかったっけなあ・・と、ますますお腹が空いてくる。

明治通りをひたすら渋谷に向かって歩き続けると、あった、あった! 赤い看板の揚州商人。冬牡蠣ラーメン、冬牡蠣ラーメン、冬牡蠣ラーメンおねがいしま・・・あれ? ない!

メニューから冬牡蠣ラーメンは消えて、あさりラーメンが登場してました。

そりゃ、あさりだって美味しいだろうけれど、行く冬を惜しんで冬牡蠣ラーメンを食べにはるばる恵比寿までやってきたわたしの気持ちはどうなっちゃうの???
ま、ないものはないのだから仕方がないか。
スーラータンメン食べて帰ろうっと。

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2005.03.03

百万本のバラ、Momoko風

1月のライブでリクエストされた「百万本のバラ」。
その後一ヶ月は、リクエストされてたことをすっかり忘れ、
その次の一ヶ月は、なかなか覚える気力がわかず、
とうとう、「この日に歌います」と約束した3月の喫茶店ライブは今週の土曜日になってしまった。

有名な歌ではあるし、日本語の歌でもあるし、覚えて歌えば、喜んで聞いていただけるものだろうとおもうのだけrど、どうも、気乗りがしない。

まるで、期末試験直前の高校生みたいに、土曜のライブが近づけば近づくほど、
百万本のバラから逃げ出したい気持ちになる。

そして、ライブまであと3日となった昨日、
ため息をつきながら、いかにもめんどくさそうに
加藤登紀子のCDを聞き始めた。
何度か繰り返し聞きながら、
さて、どんな風にギターを弾いたらいいのかしら、と考える。
CDに合わせて弾いてみたら、思いのほか楽しい曲に感じられてきた。

2年ほど前、ジョゼ・ピニェイロというブラジル人の歌を聞きに行った。
ギターを弾きながらブラジルの主に北東部のリズムの歌やフォークソング、サンバを歌っていた。のびのびとした歌とギターがとても素敵だった

加藤登紀子のCDといっしょに百万本のバラを歌っていると、ジョゼ・ピニェイロが歌ってくれた"Cirandeiro"という歌を思い出した。おぼろげな記憶をたどると、たしかこれもブラジル北東部のリズムで、輪になって踊るダンスの歌だったような。ノルデスチのリズムは陽気なメロディの歌が多いのだけれど、この歌は、マイナーの旋律と軽快なギターのリズムがとても印象的だった。
そんなジョゼ・・ピニェイロの歌う"Cirandeiro"をイメージしながら歌ってみると、百万本のバラがちょっと楽しくなってくる。
加藤登紀子の大人の歌とはだいぶ違っちゃうのだけれど。

さてさて。
約束のライブの日はあさって。
Momoko風「百万本のバラ」は無事、完成するだろうか?

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2005.03.02

ファミリーレストランで弾き語り

グランドピアノがある、ちょっとおしゃれなファミリーレストランで弾き語りをさせていただいた。

演奏は2時から。
昼下がりの店内は、遅めの昼食をとる人や、お茶をする人たちでそこそこ席が埋まっている。入り口には「ボサノバ Momoko」と案内板が出ているけれど、演奏を聴きにきたという人はまずいない。駅前のファミレスに来てみたら、たまたま生演奏をやっていた、という感じで、皆さん、それぞれのテーブルで楽しそうにおしゃべりしている。

いつものライブなら、「ブラジルの歌と日本の歌とおしゃべりと」という構成で、にぎやかにおしゃべりをしながら歌うのだけれど、こういうBGMに近い雰囲気では、やたらにしゃべってしまっては聞いている方々にかえって耳障りだろう。
曲名を簡単に紹介する程度で、40分ほどかけて10曲をほとんど続けて歌った。

ざわざわとした店内に向けて歌い始める。
ブラジルの歌から初めて、途中で日本語の歌を3曲ほど入れて、またブラジルの歌の計10曲。歌い終わるごとに、応援に駆けつけてくれた弘美ちゃん以外の人もぱらぱらと拍手をしてくれた。「上を向いて歩こう」を歌い終わると、そのパラパラの拍手の数が、気のせいかちょっと増えたような気がした。意外に聞いてくれているものらしい。

演奏後、店長さんからお話があった。
「歌の雰囲気はとてもいいのだが、音量をもう少し下げて欲しい。お店のお客さんは、あくまでも食事やお茶に来ているので、会話をさえぎってしまうような音量には抵抗がある。何とはなしに心地よく聞こえてくる生演奏、という雰囲気を大事にして欲しい。」というお話。そして、「曲のタイトルや簡単な紹介を必ず入れてください」というお話もあった。

お客様から寄せられたアンケートも店長さんのお話を裏付ける内容のものだった。
「やわらかい声が素敵でした。」
「思いがけなく生演奏が聞けてよかったです」
といったコメントが多かったけれど、「曲名が聞き取れなかった」「曲の説明が欲しかった」といったご指摘もいただいた。

「音量を小さくしてください。Bossa Nova は静かに聴くものです!」という切実な(?)コメントには、ちょっと笑ってしまった。。。。あらら、うるさくてゴメンナサイーーー。

アンケートに目を通して、意外にも丁寧にコメントをくださることに少なからず驚いた。ざわざわとした店内ではあるけれど、アンケートをからも、また、あちこちのテーブルからそこはかとなく伝わってくる反応からも、意外と耳を傾けてくださっていることがわかる。BGMなのだからといい加減に歌ってはいけない。聞いてくださる方の耳に残るような歌を40分歌いきるように集中して歌わねばいけない。心地よい緊張感を感じられる機会だと思った。

まったく知らない人の前で歌わせていただける月に一度のこの機会を、大切にしていきたいと思う。わたしにとっては、飲み屋さん「農家」でのライブと同じく貴重な勉強の場となりそうなファミレスでのライブなのでした。

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引っ越ししました

あらためまして、ご挨拶。

歌とギターとお昼寝と美味しいものが大好きなももこです。
あちこちで、あぶなっかしいギターを弾いてはブラジルの歌や日本の歌や、ちょっぴり自分で作った歌をうたっています。歌っているときと、食べているときと、眠っているときが最高に幸せです。

大好きな歌、大好きな音楽をめぐる思いをあれこれお文章につづるのが楽しくて、去年の6月から「つれづれ歌がたり」という日記を始めました。このたび、こちらへ日記を引っ越ししました。歌に恋するMomokoのひとり言、時々のぞきに来てくださいね。のぞいたついでにあなたのひとり言も聞かせてもらえると嬉しいです。

なお、これまでの日記はこちらです。


さてさて。
新居での「つれづれ歌がたり」。
どんな話題が登場するでしょう。
書いてるわたしがいちばん楽しみ!です。

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