悲しすぎてうたえない歌は・・・
季節を感じる歌を歌いたい。
2月は「冬の星座」
3月は「どこかで春が」
4月は「おぼろ月夜」
ここまでは順調に歌を思いついたのだけれど。
さてさて、5月は何を歌おうか?
風かおる5月ではあるけれど、意外と五月の歌というのが思い浮かばない・・・何がいいかなあ・・と、ここのところずっと考えていた。
昨夜、音楽好きの方々とおしゃべりしているうちに、偶然、「五月にふさわしい歌は何か?」という話題になった。やはり、なかなかピッタリの歌は出てこなかったけれど、ひとりが「しゃぼん玉かな・・」と言って歌いだした。そう、「しゃぼん玉、とんだ、屋根までとんだ・・・」という、あの童謡。
いいかもしれない、と思った。しゃぼん玉を飛ばすのなら、早春でもなく、桜の季節でもなく、真夏でもなく、さわやかな五月の日曜日の昼下がりが似合うと思った。
そうね。五月は「しゃぼん玉」を歌ってみようか。いい歌だしね。
きょうもいいお天気だった。昼下がりに「しゃぼん玉」を歌ってみた。やさしい言葉にやさしいメロディ。本当にいい歌。いい歌なんだけれど、この寂しい感じは何だろう?
しゃぼん玉。念のために歌詞を調べてみた。
わたし達がよく知っているのはこの歌詞です。
しゃぼん玉 飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで こわれて消えた
しゃぼん玉 消えた
飛ばずに消えた
生まれてすぐに こわれて消えた
風、風、吹くな
しゃぼん玉 飛ばそう
しゃぼん玉のはかないイメージが寂しさを感じさせるのか。いえ、それだけではない。この歌が、我が子を病気で亡くした野口雨情の心情を歌ったものだという話は有名です。
でも、きょう調べてみたら、野口雨情は、二度、子供を亡くしているらしいのですね。ひとりは生まれてすぐに。もうひとりは4歳になる前に。この歌詞は、ふたりの子供の面影をしゃぼん玉に託しているのですね。
そして、この歌には2番の歌詞があることを、きょう初めて知りました。
しゃぼん玉 飛んだ 屋根より高く
ふうわり ふわり つづいて飛んだ
しゃぼん玉 いいな お空に上がる
上がっていって かえってこない
ふうわり ふわり しゃぼん玉飛んだ
胸をつかれる思いがしました。二人の子供を亡くした野口雨情は、ある日、ひとりでしゃぼん玉を飛ばしてみたのかもしれません。ふうわり、ふわりと飛んでいくしゃぼん玉を目で追いながら、しゃぼん玉はふうわり屋根より高く上っていくけれど、自分は縁側に座ったまま。しゃぼん玉を追いかけることも捕まえることもできない寂しさを感じていたのではないでしょうか。
そんな父親の姿を想像すると、悲しすぎてとてもこの歌はうたえないと思いました。途中で涙が出てきそうです。
でも、とてもいい歌です。ギターでメロディを弾いてみました。あてずっぽうでコードを弾いてみました。そして、少しずつ、亡くした子供達の面影をしゃぼん玉に見ているお父さんの姿をギターの中に感じられるようになってきました。
そう。悲しくすぎてうたえない歌は、ギターで弾けばいいのですね。ギターなら、途中で涙が出てもとりあえずは弾き続けられるから・・・
しゃぼん玉。やさしく、切なく、美しい童謡をギターで弾いているうちに、春の日は暮れていったのでした・・・
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コメント
そうか。ひとみさんは童謡も好きなんですよね。そうなんです。しゃぼん玉って、切なく悲しい歌だった。でもね。そういうエピソードはあるとしても、雨情は、子供達に楽しくしゃぼん玉遊びをしながら口ずさんで欲しかったのだお思いますよ。そして、この歌はその通りに歌われてきたわけです。作者の感情とは別に、歌は歌として楽しまれていいのではないのかな。
投稿: ももこ | 2005.04.20 12:36
しみじみ読みました。
野口雨情、大好きなのですが
それは知りませんでした。
投稿: ひとみ | 2005.04.20 08:21