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2005.09.18

基本は美味しい夕ご飯

いまさら言うまでもないけれど、わたしは美味しい物が大好きです。毎日、毎日、「きょうは何を食べようか?」と考えて暮らしています。美味しいものは、歌と同じぐらい、わたしの「生」の原動力。

最近、何人かの音楽友達とご飯を食べる機会が続きました。わたしと並んでご飯を食べながら、彼や彼女はこうつぶやくのです。

「久しぶりにちゃんとした食事をするなあ・・・」
「最近、食欲がなくて」
「食生活がどうしてもおろそかになっちゃう・・・」

彼や彼女は、文字通り「寝食を忘れて」音楽にのめりこんでいるのです。社会人として仕事をしながら音楽にのめりこめば、それ以外のことに時間やエネルギーを割いていられなくなる。そうなのかもしれない。

でも・・・でも・・・・わたしは声を大にして言いたい!!


美味しいご飯はいい音楽の原動力ですよ!


おもいっきり歌ったり、楽器を吹いたり弾いたりすれば、エネルギーを消費します。お腹が空くはずです。そこで、美味しいものをお腹一杯食べる。そうすると機嫌がよくなって、体が元気になって、また、いい音楽を創ろう!!という意欲が満ち満ちてくる。美味しいものをお腹一杯食べる。これは絶対、音楽の基本だと思う!

だって。音楽って、体をつかうんだもん。元気いっぱいの体で力いっぱい取り組むからいい音が出るんだもん。

ああ・・・・もしもわたしに何億円かのお金があったならば・・・ミュージシャンの卵のための下宿屋を経営したい。好きなだけ練習のできるお部屋がいくつかあって、そして、練習してお腹が空いたら、栄養満点の美味しい夕ご飯が食べられる、賄いつきの下宿屋を経営したい。

でも、わたしには資金もなければ、料理の腕もない。せめて、音楽仲間を時々食事に誘い出して、食いしん坊のMomokoにつき合わせて、お腹一派ご飯を食べてもらう啓蒙活動を続けよう。

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2005.09.15

最後の「ソッ!」が歌えない

「サンバのももこさん」だから、というわけじゃないけれど、有名なボサノバを歌う機会はあまりない。ボサノバボサノバしたボサノバがあまり好きじゃないということもある。そもそも、ボサノバらしく歌えない、ということもある。

そんなわたしが、わりとしょっちゅう歌う有名なボサノバの曲に「ワン・ノート・サンバ」というのがある。もちろん、わたしのことだから、ボサノバらしくおとなしく(?)歌うはずはなく、日本語の替え歌でみんなを笑わせるときに歌うのです。

ところが・・・このワン・ノート・サンバ。実はとっても難しい歌だと最近気がつきました。歌の真ん中の早口言葉のようなところも、もちろん大変なのだけれど・・・なんといっても、この歌のいちばん難しいのは最後の最後の「ソ!」

そう。ワン・ノート・サンバは、ポルトガル語では「サンバ・ジ・ウマ・ノータ・ソ」と言うわけで、曲の最後の最後に、「ウマ・ノータ・ソ!」を3回繰り返すのが普通です。

その3回目に繰り返した最後の最後の「ソ!」が難しい! 最近、わたしは気づいたのです。この、最後の「ソ!」で、わたしの歌は際立って音痴になる!

この「ソ」はアクセントのある「ソッ!」です。口を大きめに開けて、息を勢いよく吐きながら発音する「ソッ!」。曲の最後でだんだん声を弱くして歌ったとしても、「ソッ」にアクセントがついていることには変わりないわけで、なんとか、アクセントつきの「ソッ!」に聞こえるように歌わないといけない。

なーんて分不相応なことを考えながら歌ってみると、最後の「ソッ!」がなんとも中途半端な音になっちゃう。最後の最後の単語が中途半端だと、歌い終わった感じがしなくて気持ち悪いことこの上ない。

ソッ!

ソッ?

ソーーッ!

いろいろ工夫して歌ってみても、フラッとよろめくわたしの「ソッ!」。

あーあ。きっとこういうところで歌の上手、下手というのは分かれるんだろうなあ・・・・ 愉快に楽しく歌っていられたワン・ノート・サンバが、いまや、音楽のテストの課題曲のように思えてくる。最後の「ソッ!」の手前で臆病になってしまう。きょうもまた、音痴の「ソッ!」で終わるのかな・・・と憂うつになってしまう。気がつかなければよかったな。どうせ他の部分も他の歌も音痴なんだし、ことさら「ソッ!」だけ音が外れているわけじゃないのに・・・ 少々、いや、だいぶ・・・音が外れていても今まで全然気に留めもしなかったのに・・・・ 気がつくというのは、なんとツマラナイことか!

かくして、当分の間、Momokoさんの「ワン・ノート・サンバ」は"工事中"ということになったのです。

でも・・・

わたしは決めました。他の歌を歌うときには、音が外れていても絶対に気がつかないことにしよう! だって・・・・レパートリーがみーんな"工事中"になったら、つまらないもん・・・・

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2005.09.11

ちょっとだけ歌いだしたギター

ギター教室の発表会に出ることになりました。20人あまりの生徒さんたちが、かわるがわる、1,2曲ずつ演奏します。

先日のレッスンで、発表会の申し込みをしました。まだまだまとまった曲が弾けないわたしは、一曲はブラジルの歌、カリニョーゾを弾き語りさせていただくことに。そしてもう一曲は、1年前にレッスンで習った静かな曲を選びました。

去年のちょうど今ごろ。ギターの先生に、「しみじみとした曲を弾いてみたいのですが」と相談しました。「では、こんなのはどうでしょう?」と先生が弾いてくれたのは「11月のある日」。ブロウウェル作曲のこの曲はクラシックギター愛好家に人気の曲。先生もとても好きなようで、見事なお手本演奏を聞かせてくれました。

「いい曲ですねえ。5年後の11月のある日に弾きたいです。でも、今年の11月に弾けるぐらいの、しみじみした曲はないですか? 先生?」

「そうですねえ・・・」と言いながら先生が楽譜がぎっしり詰まった本棚の中から薄い教則本を一冊取り出しました。

「これなんかどうでしょう?」と言いながら弾いてくれた曲は"LE PELERIN"というフランス語のタイトル。その下に"Pilgrim"という英語のタイトルがついていた。Pilgrim・・・巡礼。タイトルからしてなんだかしみじみしている。少ない音数の中に独特の雰囲気がある曲。一度聞いただけですっかり気にいってしまいました。

それからしばらくかけて指使いと弾き方を覚えました。一通り弾き方を覚えると、何回も何回も弾きました。指使いがわたしにはまだまだ難しくて、なかなかスムーズには弾けません。それでも、とつとつと音を追っているだけで、ギターが鳴らす音の重なりがきれいで、気持ちが休まる曲でした。

それから1年近くがたちます。少しは滑らかに弾けるようにはなりました。でも、なんだか物足りない。半年前にはきれいに弾けなかった場所もそれなりに音が出るようになったし、瞬間的に抑えられなかった和音も、かなりの高確率でパッと指が定位置に落ち着くようになった。だけれども、何かが足りない・・・・発表会までの1ヶ月半。何を練習すれば曲らしくなるのだろう?

「ももこさん。メロディと伴奏は弾く強さを変えて弾いてください」

当たり前のことです。今までに何十回も注意されたことです。自分でも、ギターの曲を弾くときに「メロディが聞こえるように」と意識しているつもりでした。何をいまさら当たり前のことを先生は注意するのだろう?

「たとえば、ここは2弦のメロディはアポヤンド、3弦は伴奏ですからアルアイレで弾くと、音に変化が出ます」
「たとえば、ここは、最初の音は和音ではっきり弾きますが、次の単音は控えめにすると、メロディが滑らかに聞こえます。」
「メロディの合間のアルペジオの部分は弱めに弾きます」
「ももこさんはすべての音をはっきり弾きすぎる傾向がありますね。」

わたしはハッとしました。

そうなんです。この曲の音の重なりとつながりの美しさに耳がいくあまりに、メロディとそれ以外の音の組み合わせを考えていなかったのです。強調する音と控えめに弾く音。この、あまりにも当たり前の弾き方の違いを意識していなかったのです。

家に帰って、先生の指摘を思い出しながら弾いてみました。メロディを意識しながら、メロディはつながって滑らかに聞こえるように、そして、それ以外の音は控えめに聞こえるように、弾いてみました。そうそう。ピアノの曲で、右手のでアルペジオとメロディを両方弾く曲があったっけ。たぶんあの時と同じような要領なのだろうな・・などと考えながら・・・

すると、何度目かに弾いたときに、自分が弾く"LE PERELIN"の中からメロディが浮き上がって聞こえてきたのです。まるで、ギターが旋律を歌っているように聞こえてきた。自分で弾きながらびっくりしてしまいました。

ギターが歌っているように聞こえる。そう思ったとたんに、この曲を弾くのが断然楽しくなったのです。

発表会まであと1ヶ月あまり。毎日楽しく弾いて、もっとギターに歌ってもらえるようになりたいな・・・・・

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2005.09.07

「洗濯おばさんの歌」で癒されてます

その歌声を聴いたとたんにわたしの体じゅうの筋肉がはゆるんでしまったようだ。

おばさんたちのコーラス。ブラジルの、というよりはほとんどアフリカのおばさんたちのような声。その、あまりにもおおらかで、ストンとした歌い方。そして、のびやかなリズム。わたしの体から力という力が抜けていって、フニャフニャのくらげのように浮かんでいるようだった・・・・


 A MU'SICA DAS LAVADEIRAS DO JEQUITINHONHA
 ジェキチニョーニャの洗濯女達の歌

ブラジル北東部。バイーアの南隣の州、ミナス・ジェライス州の北東部をジェキチニョーニャ川という川が流れている。その川沿いのアルメナーラという町のおばさんたちのコーラス。

ジェキチニョーニャ川? いったいどこにあるのだろう? 去年ブラジルで買ってきた分厚い旅行ガイドの付録の「ブラジル全国地図」という模造紙ぐらいの大きさの地図で探してみた。内陸部。ジェキチニョーニャ川というのが確かにある。そのほとりの小さな町、アルメナーラ。ようやく見つけたその小さな地名から想像するに、ブラジルの内陸の地方都市、というより田舎町というところだろうか。

その昔、川が主たる交通手段だったという。そのころの女達は川辺に集まって洗濯をしていたのだろうか。おばあちゃんからお母さんへ、お母さんから娘へと伝えられた民謡。もともとはもっと素朴な、というか、CDにするようなものでもない、あまりにもありふれたものだったに違いない。それを、この町の元気な9人のおばさんたちが堂々とステージで歌い、CDに録音してしまった。

晴れ舞台に立ったのだけれど、CDになって有名にもなったわけだけれど、聞こえてくるのはどっしりとして、伸びやかで、ありのままのおばさんたちの歌声。

聞いているわたしは、両手を大きく広げていっしょに歌いたくなる。軽やかでいて伸びやかなリズム。おばさんたちの"そのまんま"の声。そして、おばさんたちの歌を暖かく、そして面白がって、いっしょに演奏するギターやフルートやパーカッション・・・

なぜだろう? おばさんたちの歌を聞くと、無条件にほっぺたがゆるむ。ヘラヘラ、ハハハと笑いたくなる。そして、踊りたくなる。

なぜだろう? 自分の国の民謡を聞いても、これほど体中が反応することはないのに。

なぜだろう? おばさんたちの歌はわたしを自由にしてくれる。

そうなのです。ジェキチニョーニャの洗濯おばさんたちの歌・・・これはたぶん、わたしにとって究極のヒーリング・ミュージックになったようです。

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2005.09.05

「涙そうそう」に本物の涙を添えて

来月のギターの発表会で、生徒全員が合奏する曲がある。なにしろ「全員」だから、わたしも覚えて弾かなければならない。正直なところあまり気が進まなかった。大して好きではない曲を暗譜して練習するのはとても億劫。

しぶしぶ練習を始めた。曲は「涙そうそう」。二十数人の生徒達は、それぞれのギター歴に応じて「メロディ」「伴奏」「ソロギター」のいずれかの譜面を渡されて練習することになっている。わたしは、いちばん手っ取り早く覚えられそうな伴奏の譜面をもらってきた。

ハ長調。最初のコードはC。そこからベースラインがC→B→A→G→F→Eと降りていく。抑え方はきわめて簡単なのだけれど、なかなかきれいな伴奏になっている。ギター教室の先生が作ってくれる楽譜は、左手の押さえ方が簡単で、しかも弾いてみるとなかなかきれいな音を選んであって、楽しい楽譜が多いのです。

さて。涙そうそう。何度か弾いているうちに、メロディを口ずさんでみたくなった。鼻歌でフムフム歌いながらアルペジオでコードを弾いているうちに、鼻歌ではなくてちゃんと歌いたくなってきた。楽譜には歌詞がついている。ついでに歌も覚えてしまおう。

何十回か、ギターを弾きながら歌っているうちに、なんとか歌とギターを覚えたようだ。そして、まだまだ何十回も歌いたい気分になってきた。

なんと言ったらいいだろう。コードを順番に弾きながら歌詞をメロディにのせて歌っていると、その行為自体で自らが慰められるような、そういう歌だった。そして、何十回目かの「涙そうそう」で、わたしは本当に涙を流してしまった。

来し方を振り返れば、あの時出合ったあの人、この人。友達として、先生として、先輩として出会った人たち。出会いの形はいろいろだったけれど、その人なりの優しさでわたしを支えてくれた人たち。そして、今はもう会えなくなってしまった人たち。この世を去ったひとも何人か。そういう人たちへの思いが、「涙そうそう」の言葉とメロディとギターのコードにオーバーラップして、わたしを包んでいく。

晴れ渡る日も雨の日も
浮かぶあの笑顔
思い出遠くあせても
面影さがして
よみがえる日は涙そうそう・・・

必ずしもドラマチックな場面を思い出すわけではない。あのとき、悲喜こもごもの日常をともにしていたあの人。この人。穏やかで平凡な日常。そのときは気がつかなかった彼、彼女の存在の暖かさが、何年もの時を経た今、よみがえる。

さみしくて
悲しくて
君へのおもい 涙そうそう

会いたいと思うときには、その人はもういない。そんな思いを今まで何度もかみ締めてきた。そしてきっとこれからお・・・

会いたくて
会いたくて
君へのおもい 涙そうそう

誰にも、忘れられない出会いと別れがある。
この歌が人々をひきつけるのは、出会いと別れの切なさを穏やかに歌うところにあるのだろう。

会いたくてももう会えない人々への思いを胸に、今宵、もう何十回か歌ってみよう。

涙そうそう。

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