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2005.10.27

花とおじさん

「花とおじさん」

弘美ちゃんとわたしはこの歌をこう呼んでいた。サンバに出会って間もないころ。ポルトガル語のタイトルがさっぱり読めないころだった。「花とおじさん」・・たしかそんな歌が日本にあったような・・・とにかく、元のタイトル"O Velho E A Flor"(老人と花)の意味と当たらずと言えども遠からず、の呼び名ではないですか。

トッキーニョとヴィニシウス・ジ・モライスの二人が歌う「花とおじさん」。ひとりは最初から最後までメロディを歌い、もう一人は後半のメロディだけを繰り返す二重唱。そして、合間のピアノソロが、サンバばかり聴いていたわたしにはとても新鮮だった。ブラジルの歌にも、こんな風にちょっぴり都会の夜の匂いがするピアノが聞こえてくる歌があるのねえ・・・・

これは二人のお気に入りの歌になり、弘美ちゃんがギターを覚えて、二人で二重唱をした。あるとき、ブラジル人のスルドおじさん、ダミオンの前で歌って「わたしたちのポルトガル語、わかる?」と聞いたら、「マイス オウ メーノス」(まあまあね・・)と言われてしまった。あのころは、二人ともポルトガル語の歌詞の意味などほとんど知らずに歌っていたのです。

歌詞の意味。ポルトガル語の詩を読み解くにはわたしのポルトガル語力はまだまだ不十分だけれど、あのころよりは知っているポルトガル語の単語が増えたぶんだけ、歌の意味を推測しやすくなった。

今のわたしはこの歌の歌詞をこのように
推測しています。


 世界じゅうを旅して
 詩人や王様に出会っては聞いてみた
 今度こそ答えを教えてくれると期待しながら。
 「愛とは何か」という問いの答えを

 でも、だれも答えを知らなかった。
 死ぬまで探し続けようと思っていた。
 でもある日、ひとりの老人が語ってくれた。

 愛とは、たとえて言えば花のようなもの。
 優しく、そして、棘がある。
 花が開くとき、それは
 血を流して生きる生の始まり。


「星の王子様」を思い出させるような問答。愛とは何か、その答えを語ってくれたのは詩人でも王様でもなく、一人のおじいさんだった・・・おじいさんは「愛とは何か」など大上段に語ったのではないかもしれない。若者相手にちょっぴり年寄りくさい説教をしたのかもしれない。酔っ払っていたのかもしれない。どこかの街角のおじいちゃんの一言。「愛? いとおしくて、でも棘があるねえ・・・」 捜し求めていた答えはこんなところにあった。そんな歌じゃないのかな・・・

と、知ってる単語を元に想像たくましくしながら、久しぶりに歌ってみた。

ギターを弾きながら何度か歌ってみてふと思いついた。「愛はいとおしくて、棘があるものだ・・」と、右手の親指で語ってもらおう。おじいちゃんの何十年かの「血を流しながらの」人生。さらさらときれいに弾き流してしまわずに、右手の親指をしっかり鳴らして、ちょっとくどいおじいちゃんになって語ってもらおう。

だって、この歌は、「おじいさんと花」。主役はおじいさんなのだから・・・

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2005.10.26

ギターのある生活

ああ、終わった~!!!
ビールが美味い!!!
緊張した~!!!

口々に感想を吐き出しながら生ビールを飲むおじさん、おばさん、おにいさん、おねえさんたち。ギター教室の発表会の後の懇親会は、心地よい達成感と開放感を味わう生徒たちのおしゃべりが絶えなかった。

住宅街の中にひっそりと立つ小さな音楽堂での発表会。ある人はクラシックギター独奏、あるひとは先生との二重奏、あるひとは弾き語り・・・ 下は18歳から上は77歳までの約20名の生徒たちが、次々にステージに登場した。

出番を待つ控え室。ギターを抱きしめる人。お茶を飲む人。名前を呼ばれるその瞬間まで練習をせずにいられない人・・・ 声も詰まってしまいそうな張り詰めた空気。。

司会進行役は先生だった。名前を呼ばれるとギターを持ってステージに登場する。自分で曲の紹介などをしゃべりながら何とか落ち着こうとする人あり、先生が紹介してくれるのをじっと座って待っているひとあり・・・ そして弾き始める、歌い始めるそれぞれの曲は、小さな音楽堂に、最初はかなり遠慮がちに流れていく。けれど、曲のどこかで、「こうしてギターを弾くっていいものだなあ」という高揚感が伝わってくる。そして、一曲終わるごとに、詰め掛けた家族や友人たちは精一杯の拍手を送る。ステージから戻ってくる生徒たちは、「失敗しちゃった」「あがっちゃった」と言いながらも、どの顔にも「人前で弾いちゃった~」という充実感と開放感があった。

懇親会で一人の生徒さんがしみじみと言った。「家でギターが弾けるっていいですよねえ・・」

どの生徒も自分の好きな歌、弾きたい曲を選んでいる。ひとりひとりの演奏に、家で一生懸命練習している姿が思い浮かぶ。なかなか弾けないギターを投げ出しそうになったり、ちょっとずつ弾けるようになると俄然楽しくなったり、家族にちょっぴり上達をほめられて気をよくしたり、好きな歌のメロディをポロロンと爪弾いて自己陶酔したり・・・ ひとりひとりの「ギターのある暮らし」が聞こえてくる。

何か楽器をやりたい、ギターが弾けたらいいなあ、という漠然としたあこがれを、それぞれの日常生活の中で、その人のペースとスタイルですこーしずつ実現している生徒たち。「ギターのある生活」「ギターを弾く時間」を「なかなかいいものだなあ」と思う生徒たち。そういう生徒たちを親身になって応援する先生。小さなギター教室の発表会は、普通の人々の、ささやかで豊かなギターの楽しみ方を聞かせてくれた。

「来年は何を弾こうかねえ・・・」懇親会では、早くも次回の発表会の話になった。控え室で、ステージであんなに緊張したのにねえ。震えるほどの緊張もギターの楽しみの一つ・・・ 初めての発表会で生徒たちはまたひとつ、「ギターのある生活」の楽しみ方を発見したようです。 

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2005.10.22

お辞儀の練習

ギター教室に行ってきました。

「いよいよ明日が発表会ですねえ、ももこさん!」
明日の発表会に向けてセンセイはますます気合が入ってらっしゃるようです。

ギターの発表会は初体験。ステージに出て行って、座ってギターを抱えて・・・しーんとした中で弾き始める・・・考えただけでも緊張します。

「あ、ももこさん、最初と最後にお辞儀してくださいね」とセンセイがおっしゃいました。
「え? お辞儀???」
「ええ、お辞儀の練習、しませんでしたっけ?」
「いえ、してませんねえ・・・」

弾き語りのライブのときは、まずお辞儀はしません。座って、ギターを抱えて、マイクに向かって、最初に短い曲を一曲歌って、「みなさん、こんにちは、ももこでーす」というのが、いつもの始め方。ライブの最後も、「歌とギターはももこでした。ありがとうございましたー!」とマイクに向かってしゃべって、おしまい。お辞儀は・・・・しないのです。

もしかしたらギター教室ならではのお辞儀の作法があるかもしれない。これは、きょう、教わっておかねば!

「ギターを持ってステージに出ていきますよね。」
「はい」
「そしたら、椅子の横で、お辞儀します」
「ギターはどうやって持つんですか?」
「そうですねえ、どう持ってもいいですが、たとえば、左手でネックを持って、右手でボディのお尻の方を抱えるといいんじゃないですか?」
「こうですか?」と言いながらお辞儀をしてみる。
「そうそう、そんな感じです。」

「2曲、演奏が終わったら、皆さんが拍手をしてくれますので、拍手が鳴り止まないうちに、すかさず立ち上がってお辞儀をしてください」
「はあ・・・」
「よほどの名演奏でない限り、拍手は長くてもせいぜい5秒間です。その貴重な拍手が鳴っている間にお辞儀をしてくださいね。」
「はあ・・・」
「そうしないと、拍手するほうも、手が疲れちゃいますからね」
「なるほどー」

弾き終わったらすかさず起立、礼! これは大変だ。初めての経験だ。今夜は鏡に向かって、「礼!→着席→2曲演奏→起立!→礼!」の練習をせねば。

ますます緊張してきたなあ・・・ギター教室の発表会。

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2005.10.21

恋に恋する歌、カリニョーゾ

「わたしの心は・・・」で始まり、「わたしの心は・・・」で終わる美しい歌、カリニョーゾ。この歌のギターを教わったのは、ギターを弾き始めて2年目のころだったろうか。

弘美ちゃんが、「わたしがいちばん好きな歌です」と言って、ライブで必ず歌うカリニョーゾ。ブラジルの第二の国家といわれる名曲カリニョーゾ。弘美ちゃんが歌うカリニョーゾは日本で聞ける最高のカリニョーゾではないかとわたしは思う。


何年も前のある日のこと。

「ねえねえ、カリニョーゾのギター、覚えて伴奏してよー」と弘美ちゃんが言い出した。彼女もわたしも、ギターを習い始めて2年目ごろだったろうか。彼女は、大好きな歌を歌いたい一心で、サンバのセンセイに頼み込んでカリニョーゾのギターを教わったものの、弾きながら歌うのはまだまだ大変そうだった。そのころ、いっしょに二人であちこちで歌っていた、その相方のわたしに「伴奏してよ」とお声がかかったのである。

きれいな歌です。ギターの伴奏も美しい。弾けるようになったら楽しいだろうな。わたしもサンバのセンセイに頼み込んで教えていただいた。

一通り弾き方を覚えたころに所用で松山に出かけることになった。当時は仕事が忙しく、ギターの練習にまとまった時間を割くことがなかなかできなかった。「松山に行けば、空いている時間にカリニョーゾの練習ができそうだ。そうだ、ギターを持っていこう!」 ハードケースに入れたギターを飛行機の隣の座席に座らせて、ギターと二人連れで松山へと旅立った。

予定の用件は一日目の夜までにすべて終了。翌日の午後、飛行機に乗るまでは自由の時間である。ホテルをチェックアウトすると、曇り空の少し肌寒い松山の街を、ギターを弾けそうな場所を求めてうろついた。そしてたどり着いた松山城近くの神社。閑散とした境内の石段に腰をおろすと、ギターを取り出して練習を始めてみる。

カリニョーゾのギター。次々と変わっていくコードは流れるように美しい響き。合間あいまに入る単音のメロディが片思いの切なさを物語る。センセイのように、カリーニョーゾ(愛情深く)のように弾けたらどんなに満たされることだろう・・・・

しかし、簡単なコードを押さえるのもおぼつかなかったわたしには、カリニョーゾのギターはあまりにも難しかった。石段に座るお尻がそろそろ痛くなって、薄ら寒い風に体がブルブルと震えるころ、ため息をついて立ち上がった。そろそろ飛行機の時間も気になる。喫茶店で暖かい珈琲を飲んで、松山の街を後にしたのでした。

それからしばらく経って、なんとかかんとか弾けるようになったカリニョーゾ。弘美ちゃんの伴奏で何度かライブで弾いたことがある。

「きょうのカリニョーゾのギターは何点でしょう?」
「そーだねーー、45点ってところでしょーか」
「あ、このあいだより5点上がりましたねー」

なんてオバカなやりとりを二人でしながら、あちこちで弾いたカリニョーゾ。


あれから何年も経って。弘美ちゃんは、自分のギターで、心を込めてすばらしいカリニョーゾを歌うようになり、わたしのギターの伴奏は必要なくなってしまった。

カリニョーゾ。

あなたに恋い焦がれるわたしの熱い熱い胸のうちをあなたが知ってくれていたならば、あなたはきっとそばにいてくれるだろうに・・・・

という切なくも熱烈なラブソング。ブラジル人なら老若男女誰でも知っている歌、カリニョーゾ。そして、誰かが歌いだすと必ずと言っていいほど大合唱になってしまう歌、カリニョーゾ。

わたしも歌ってみたいとずっと思っていた。弘美ちゃんの伴奏をしていたころよりは、ちょっとだけ上達したギターで歌ってみたいと思った。

でも・・・・

イントロを弾いて、歌の始まり、「メウ・コラサオン・・・」のアルペジオを弾き始めると、わたしの頭には弘美ちゃんの歌が流れてしまう。奥行きのあるよく響く声で、まっすぐに、暖かく歌う弘美ちゃんのカリニョーゾ。彼女がこの歌を歌うと、聞く人はみな心打たれてシンとなる。

ああ、わたしは、彼女のようには歌えない。誰だって、彼女のカリニョーゾの方がいいと思うに決まっている。わたしにはこの歌はうたえないのだろうか・・・・わたしのカリニョーゾはないのだろうか・・・


ある日。ギターを抱えたわたしは、何気なくカリニョーゾを歌ってみた。すると、なぜか、まぶたの内側に、昔むかし見たテレビドラマのワンシーンが映る。昭和の時代の木造の家の物干し場。境正章と浅田美代子が並んで座って歌っている。その挿入歌はたぶん、「赤い風船」・・・

恋に恋する女の子ごころを、普段着姿のアイドル浅田美代子が物干し場で歌う。

 ♪あの子はどこの子 こんな夕暮れ
 ♪しっかり握り締めた赤い風船よ
   ・・・
 ♪こんなとき誰かがほら
 ♪もうじきあの、あのひとが
 ♪来てくれる、きっとまた
 ♪小さな夢持って

そうだ。カリニョーゾは恋に恋する歌かもしれない。ブラジル人は、この熱烈な片思いのラブソングを大きな声で大合唱しながら、この歌のような熱烈な恋、ブラジル人にとっての理想の恋を夢見ているのではないかしら? 

恋に恋する歌。これなら、歌えるかもしれない。
そう、恋に恋する女の子になって歌ってみよう。

「わたしの心は・・・」で始まり「わたしの心は・・・」で終わる恋の歌、カリニョーゾ。

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2005.10.18

あなたもわたしもニッポン人!

10月16日から18日。毎年この三日間は雑司が谷鬼子母神のお会式(おえしき)というお祭りです。日蓮上人を供養するお祭り。地元の老若男女が手に手に太鼓を持って練り歩きます。

テンツク テンツク テンテン
テテ トト テテ トト テンテン

十数人から数十人単位のグループごとに行列を組んで、池袋東口から明治通り、そして目白通りに曲がり、最後に鬼子母神の境内までというコースを練り歩きます。

グループの先頭は、まといを回す粋なお兄さん。そして、カネやホイッスルで太鼓を指揮する人。その後に、手に手にうちわのような形の太鼓を持った人たちが続きます。

テンツク テンツク テンテン
テテ トト テテ トト テンテン

太鼓のパターンはどのグループも共通。ただ、それぞれのグループの構成メンバーによって雰囲気はだいぶ違います。10代の若者のグループは、「ソーレ!」という掛け声とともに、ダンスしながら威勢よく叩きます。大人が多いグループは、ゆっくりめにしっかりと叩きます。

テンツク テンツク テンテン
テテ トト テテ トト テンテン

うちわ太鼓の後ろには、万灯という華やかな飾りが続きます。500個の白い花飾りを25本の枝垂桜状の枝につけ、その中央には提灯がともっています。昔は本物の提灯だったのでしょうが、今は電気。万灯の後ろには発電機を積んだ軽トラックや台車がぴったり寄り添う・・・

高さ2.5メートルほどの万灯を、お兄さんが軸を持ってゆっさゆっさと歩きながら上下に揺するのです。すると、25本の枝垂桜の枝が、真ん中の灯りに照らされながらふわ、ふわっとふくらんでは、しぼみ、しぼんではふくらみ。。。お見事! 力持ちのお兄さんを調達できないグループは、万灯を台車に固定して練り歩く・・・ちょっと残念ね。

テンツク テンツク テンテン
テテ トト テテ トト テンテン

8時過ぎから始まる万灯行列。9時過ぎには続々と鬼子母神に到着します。今宵、うちわ太鼓の音に満たされる幻想的な雑司が谷界隈。

テンツク テンツク テンテン
テテ トト テテ トト テンテン

日本人はリズム感がないと言われるけれど、そんなことはない。西洋のリズムは身についていないかもしれないけれど、日本のリズムはみんなが体に持っている。

たとえば、フラメンコギターを弾く人が、「皆さん、手拍子をお願いします」と言う。リズミカルなギターに客席は手拍子をしたいのだけれど、どこかおっかなびっくり・・・これで合っているのかな? とお互い様子を見ながらの手拍子になる。それが、津軽三味線が盆踊りの歌を弾き始めると、頼まれなくたって、指導がなくたって、みんな自信を持って(?)手拍子を始める。これがまた、バッチリ息が合うんだなあ! あなたもわたしもニッポン人! ハ~ ヨカッター、ヨカッター!!

今夜、うちわ太鼓の万灯行列を見物しながら、叩く人も見る人もウキウキと浮かれているのを見ながら、日本人もお祭り好き、太鼓好きなのよね、と改めて思ったのでした。

テンツク テンツク テンテン
テテ トト テテ トト テンテン

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2005.10.17

弾けば弾くほど震えるギター

曲のいちばん最後。12フレットのハーモニクスをポーンと弾いた瞬間、心臓がドドドドドドっと連打を始め、足はガクガク震え、体中の力が抜けて、椅子から立ち上がれないかと思った。

今夜は国分寺のライブハウス、クラスタ恒例の「フリーコンサート」。15人のギター弾きが15分ずつギターソロを披露するという、ギター好きによる、ギター好きのためのイベント。このイベントに、大胆にも今年は何度も参加させていただいているのです。

今年の前半、フリーコンサートに参加し始めたころは、ギターの曲を弾くこと自体に意味がある。文字通り「参加することに意義がある」という心境でした。ごくごく簡単な曲を、できるだけ間違わずに、つっかえずに、ソコソコ楽しく弾ければいい。そう思っていましたし、実際その程度に弾くのでさえ大変なことでした。

去年の今頃ギター教室で習った曲。そして、今度の日曜日の発表会で弾く曲。"Le Pelerin".
先生の注意を思い出しながら何度も何度も弾いているうちに、自分が聞きたいギターの音を少し意識できるようになった。そして、その音を出すにはどうしたらいいか、ひとつひとつの音を弾くときにこだわるようになった。

時々、我ながら惚れ惚れするような(?)美しい音がするのです。でも、それはまだ、まぐれ当たり程度の確率で起こる幸運。その幸福の美しい音の確率を上げるにはどうしたらいいのか?と、練習するたびに右手の指と左手の指をにらんではあれこれやってみる。

そして、いつの間にか、音符どおりの正しい音が弾けるだけでは「弾けたこと」にはならない、という妙に厳しい基準が自分の中にできてしまいました。美しい音、あるいはシャキっとした音でないと「弾けたこと」にはならないのです。そして、困ったことに、そういう「弾けた音」を出せる確率はまだまだ50パーセント未満。思うような音が、聞こえてきて欲しい音がギターから聞こえてこないと、気持ち悪くて、悔しくて、何度も何度も弾きなおしてしまう。

いい音の発生確率50パーセント。これは、一つ一つの音についての確率です。曲を通して、美しい音で弾きとおせる確率なんて限りなくゼロに近い・・・・気が遠くなるような話です。

そんな状態で迎えた10月のフリーコンサート。

今年の1月、初めて参加したフリーコンサートでは、緊張したとはいっても、「しょせん、他の皆さんとはレベルが全然違うんだから、ももこさんが弾くってことに意義があるってことにしといてね」という意識があった。だから、出来はともかく終わりまで弾いて、「ああー、緊張したー!」と言いながらも楽しかった。

今日は、曲の最初の一音から神経がピリピリしていた。なぜなら、最初の一音から、「いい音」を出す確率との戦いが始まるから。そして、「弾けてる音」が出ようと出まいと、曲は曲として心を込めて弾きたいとも思ったから。一つ一つの音を聞きながら、そしてメロディのつながりを聞きながら一生懸命弾いた"Le Pelerin".  弾き終わったとたんに緊張が緩んで、震えが止まらなくなってしまいました。

去年の12月の日記に、「弾き語りをするときに足がガクガク震えなくなった。これはとても嬉しいクリスマスプレゼント」と書いている。そして、ことしの10月。震えるほどに自分のギターの音にこだわりを持てるようになったことは、ちょっと重たい誕生日プレゼントなのかもしれません。

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2005.10.14

基本に裏打ちされた楽しさ

何気なくテレビをつけたら、バレエ教室の風景が画面に映った。

あれ? なんか、ヘン・・・あ、男の子ばっかりだ!

そうなのです。それは、"ボーイズクラス"という、男の子達を集めたバレエの集中レッスンの密着取材の番組でした。バレエ教室といえば、かわいい衣装を身につけた女の子達が思い浮かびます。この集中レッスンを受講する男の子達も、ふだんは地元のバレエ教室の「黒一点」。そんな、7歳から18歳までの90人のバレエ少年達が、広いスタジオでみっちり勉強する。

講師は現役バレエダンサーの首藤康之さん。彼自身、子供のころから女の子に囲まれてバレエを踊ってきた。そんな彼が後輩のバレエ少年達に、自分の持っている技術や感性をできる限り伝えようと全力投球で一週間のレッスンに取り組む。

90人のバレエ少年は初級,中級,上級の3クラスに分かれてレッスンを受ける。初級クラスは、まだバレエを始めて間もない小さい男の子が多い。踊る楽しさをまず体感することを目的に一週間のレッスンは始まった。首藤先生といっしょに広いスタジオを楽しく動く。表現する。

しかし、バレエは確固とした技術に裏打ちされたダンス。初級クラスも、レッスンの最初は、バーを使った基礎トレーニング。そこで、いかに美しく足を上げるか、体を動かすか。小さい男の子達相手の初級クラスではあるが、首藤先生は、基礎の動きの大切さを子供達に、あるときは言葉で、あるときは自分がやってみせることで伝えていく。

そう。首藤さんはどのクラスでも「基本の動き」を強調していた。「どんなに早く動けても、どんなに回数多く回れても、一つ一つの動作が行き届いていないと美しいダンスにならない。」と繰り返し言っている。そして、「いい例」と「悪い例」を目の前でやって見せる。

バレエの世界で男性ダンサーは欠かせない。鍛え抜かれた体と、磨かれた技術。ダイナミックな動き。そんなバレエダンサーを見て憧れをもったバレエ少年達は、現役一流ダンサーの首藤さんの、テクニックに裏打ちされたかっこよさを一週間、毎日目の前で見る。

レッスンの合間のインタビューでも、首藤さんは「基本と楽しさのバランスが大事」とコメントしていた。踊る楽しさはバレエダンサーの原点。だけれども、その「楽しさ」を形にするには、一つ一つの基本動作を研ぎ澄ませるほどに確実なものにしなければならない。でも、基本の動きを完璧にすればそれでバレエになるかというと、もちろんそうではない。基本の動きを前提に、「何か」を表現しなければならない。「楽しさと基本のバランス」。これは、バレエを習い始めたときから、そしておそらく首藤さん自身今でも感じているテーマなのだろう。

バレエ少年たちの道のりはまだまだ遠い。バレエ教室の「黒一点」たち。時には、バレエの楽しさを感じられないこともあるだろう。時には、基本の積み重ねに嫌気がさすこともあるだろう。もっと手っ取り早くかっこよさを手に入れたいと思う時期があるかもしれない。そんなとき、「一つ一つの基本動作がなければ、美しいバレエにはならない」と目の前で見せてくれた首藤さんの姿を、彼らは思い出すに違いない。

基本に裏打ちされた楽しさ。

「楽しさ至上主義」を標榜するわたしには、ちょっぴり耳の痛い番組でもありました。


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2005.10.11

楽しさは一流をめざしたい

「君は一流のソリストを目指すのかね? それともオーケストラでバイオリンを弾きたいのか? それとも、楽しみとしてバイオリンを弾きたいの?」入門の面接で先生にこう問い詰められた11歳のレイコはこう答える。「オーケストラで弾きます」

森瑤子の「傷」という小説を読みました。ヴァイオリンに翻弄され、傷つけられるレイコの物語。彼女は11歳にして自分の能力の限界を悟っていた。自分は二流以下を目指すのだ、と11歳にしてわきまえていた。

プロフィールによれば、森瑤子自身が芸大でヴァイオリンを専攻したそうなので、レイコの、音楽に対する一種冷めた感覚は、著者自身が経験したものかもしれません。

芸術を目指す、芸術を究めるって生半可のことじゃないのねえ・・・いったいどれだけの人が、音楽修行の途上で「自分は二流以下を目指すのだ」と悟ることだろう。しかも、「二流以下」への道も決して平坦ではない。

こんな場面があった。音大を卒業後、女性弦楽奏団に籍を置くことになったレイコは、毎日のヴァイオリンのトレーニングを欠かさない。「君のヴァイオリンの音がどれだけ僕を苛立たせるかわからないのか?」と同棲する恋人は怒りをぶつける。レイコは答える。「わたしからスケールや重音の練習を取り上げたら、どうやってヴァイオリンで稼げっていうのよ!」

二流以下であり続けることも決して生易しいことではない。

世の中にはおびただしい数の音楽家がいる。どの人も、ある時期、寝食を忘れて練習に練習を重ねて、あるレベルの演奏技術をものにするようになる。そして、その多くの人たちが自分は「二流以下」の音楽家なのだ、と悟っている。その中で、音楽を愛するひと、情熱を持ち続けるひとは、「二流以下」であることを自覚した上で、自らのベストを目指しているのではないだろうか。

ベストを目指す。常にベストを目指している。そんな音楽家の演奏は、たとえ超一流の音楽家ではなかったとしても、時として人を感動させるのではないかしら。手を傷めて「二流以下」さえ目指せなくなってしまったレイコは、そこに気づく余裕がないまま、運命に翻弄されてしまう。

わたしは、ベストを目指そうと改めて思った。あきらめずに、開き直らずに、わたしらしさを失わずに、「わたしのベスト」を目指そう。

その後のレイコはどうなったのだろうか。ヴァイオリンの呪詛から解き放たれて、羽ばたく世界を見つけただろうか。音楽を楽しむゆとりを手に入れただろうか。

今夜は、傷だらけのレイコに語りかけたい気分です。「わたしには、今のあなたが持ち合わせていない能力が一つだけある。それはね。楽しいってこと。楽しいってことについてだけは、わたしは一流をめざすのよ」


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2005.10.08

伝説のベーシストのご利益

ギター教室に行ってきました。

「発表会の曲からいきましょうか?」とセンセイ。発表会まであと2週間。先生が、自分の教室で初めて開く発表会。直前の指導に熱が入るのも当然です。

「いえ、センセイ。この間のレッスンからまだ一週間しか経ってないから、変わり映えしないんですよ。きょうは、別の曲を見てもらってもいいですか?」相変わらず、素直ではない、注文の多いももこさん。

というわけで、発表会では弾かない「ケンプのジグ」。ルネッサンスの香り漂う古風な舞曲のような軽やかな曲。何ヶ月か弾き続けて、どうにかこうにか左手の指は動くようになったのだが、右手がついてこない。軽やかな舞曲のはずが、ボッタン、ボッタンとやぼったい音が鳴る。これじゃ、重たい体のももこさんのダンスそのまんまだ・・・あーあ。練習すればするほど、嫌気がさすのです。どうしたら軽やかに弾けるんだろう?

「センセイ、最近の悩みは右手なんですよ。左手はね。練習すればだんだん速く動かせるようになるような気がするけれど、右手がどうしても言うことを聞いてくれないんです」とセンセイに悩みを打ち明ける。

「そうですか? もう一度、弾いてみてください」と言われるままに、もう一度、ボッタン、ボッタンとケンプのジグを弾いてみると・・・

「伝説のベーシスト、ジャコ・パストリアスはですねえ、ももこさん」唐突にセンセイが言い出した。
「はあ・・・」
「あの超絶テクニックでベースを弾くとき、ほとんどブリッジ寄りで弾いてたんですよ。ももこさんも、もっとブリッジ寄りで弾いてみると、弾きやすいですよ」
「はあ。」
「騙されたと思ってやってみてください」とセンセイ。

そうまでおっしゃるのなら、ためしにブリッジ寄りで弾いてみましょうか・・・・そうしたら、あら不思議。確かに、さっきよりは右手が動かしやすくなったような気がする。伝説のベーシストのご利益かしら?

「不思議ですねえ。なんで、弾きやすくなっちゃうんだろう???」
「それはですね、ももこさん。サウンドホールの真ん中で弦をはじくと、柔らかい音は出るんですが、弦がたわむのでさばきにくくなるんです。ブリッジ寄りで弾くと、弦のたわみが少ないのですばやく指を動かしやすくなるんですよ」

なるほどー。さすが、ギターのセンセイの言うことは理にかなっている。

でも、全体的にボッタン、ボッタン、と重たく聞こえることは変わらない。これはどうしたものか・・・・

「アポヤンドで弾くときは、もっと指の力を抜いて、すばやく振り切るようにしましょう。指が弦に当たる時間が少なければ少ないほど、いい音がします。」
「はい・・・」

わかっちゃいるのだけれど、なかなかできないのよ、センセイ。

「マーカス・ミラーっていうベーシスト、知ってますか? ももこさん??」とまたまた唐突にセンセイが言い出した。
マーカス・ミラー・・・ああ、その人なら知っている。イヴァン・リンスと共演したことがあるベーシスト。でも、どんなベースだったかまでは思い出せないなあ・・・と思っていたら、センセイがちゃんと解説してくれた。
「マーカス・ミラーがマイルス・デイビスと共演したときにですね。マイルス・デイヴィスは、マーカス・ミラーに、"あまりたくさん弾くな!"と注文をつけたんだそうです。そして出来上がった録音を聞いてみるとですね。マーカス・ミラーは本当に音数少なく弾いているんですがメチャクチャかっこいいんですねえ。それは、ベースの音、そのものの響きがいいからです。」
「はあ。」
「ギターも、一つ一つの音を鳴らしきることが、速く弾くことよりも大事ですよ、ももこさん」

ご説、ごもっとも・・・だけど・・・さしあたり、わたしの右手はどうすればよろしいんでしょう? センセイ?

「ギターから手を離して、手の動きを練習してみましょう」
「はい、センセイ」
「右手の人差し指、中指、薬指の第一関節を曲げずに第二関節から弦をはじく動作をしてみてください」
「第一関節を曲げずに・・・あれ? ムズカシイ」
「でしょう? 人間の手は、握った状態が安定して器用になるんです。第一関節を曲げないということは指を開いたまま動かすということですね。ふだんこういう動作はしないでしょう? だからこの動きの練習が必要なんです。指を開いたまま、第二関節から思い通りに動かす練習です。」

実は、同じことを前にも何度かアドヴァイスされたような気がする。でも、いまひとつピンとこなかった。きょうは、指を開いたまま思うように動かすというセンセイ考案の「空中第二関節体操」がとっても理にかなったものに思えた。やってみると、第二関節から先を伸ばしっぱなしのまま指を動かすのは、感覚が頼りなくてぎこちない。でも、指を開いているぶん、力が抜けてくるような気がした。ああ、これは、いいかもしれない・・・

「では、発表会の曲、聞かせてください、ももこさん」とセンセイに促され、2週間後に弾かねばならぬ"Le Pelerin"を弾いてみた。アポヤンドでメロディを浮きたたせる弾き方。一つ一つの音をきれいに鳴らすのにかなりの緊張感を味わいながら・・・

あら・・・不思議。マーカス・ミラーのお話のご利益か、はたまた「空中第二関節体操」の効果か、いつもよりも楽に、そして、ちょっぴりきれいに弾けたような気がする。力を入れなくても音が響く。ああ、これだったのか・・・

「だいぶきれいになったじゃないですか」とセンセイにも褒めていただいて、メダタシメデダシで本日のレッスンは終了したのでした。

それにしても・・・伝説のベーシスト達は、日本の小さなギター教室でギターの初歩を習っているももこさんに、自分達がご利益をもたらしたなんてこと、夢にも思ってないでしょうえねえ・・・ 今宵は感謝を込めて、マーカス・ミラーがベース弾いているCD、聞いてみようかな。

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2005.10.01

え? ロクオン?

きのうはギター教室のレッスンでした。

「こんばんは~」
「ああ、ももこさん、こんばんは。どうですか?」
「え? どうって?」
「発表会の曲の調子は?」

そうなんです。10月23日の日曜日。ギター教室の発表会があるのです。ギターをひとりで大勢の人の前で弾くなんて、めったにあることじゃありません。え? いつも大きな顔して弾いてるって? いえ、その、いつもは「大きな顔と大きな声」で歌っているわけで。ギターだけで登場なんて、考えただけで震えちゃいそうです。

「いちおう、練習はしてるんですけどね・・・」
「じゃ、聞かせてもらいましょうか」

発表会で弾く"Le Pelerin"という短くて静かな曲
を弾きました。

「おおー! だいぶ練習してきましたね!」最近のセンセイにしては珍しく、褒められちゃった。でもその次の言葉にビックリ!

「じゃ、録音してみましょう!」
「え? ロクオン???」

録音自体は珍しいことではありません。新しい曲を習うときは、レッスンをICレコーダーに録音しているわけだし。自分の弾き語りは何度も録音して聞いたことがある。

でも、ギターの曲を録音しようと思ったことはなかったのです。クラシックギターの曲は、わたしにはとてもとても難しくて、弾くだけで精一杯。あまり間違わずに、止まらずに、ソコソコきれいに弾けることが当面の目標なわけで、自分のギターを録音して研究しようなんて、考えたこともありません。

「じゃ、準備しますからね」と言って、センセイが譜面台をどかすと、なーんと、そこにはコンデンサーマイクが2本立っている!

なんで、コンデンサーマイクなんていう言葉をももこが知っているか? それは・・・・先週、同じマイクを使って、山奥のスタジオで弾き語りの録音をしてきたばかりだったからです。この形のマイク2本でギターを録音すると、弾けてるところも弾けてないところも、そのまんま! ぜーんぶ録音されちゃうってことを知っているのです。

なーんでこんなマイクが何気なく譜面台の後ろに立っていたんだろう? ああ、そうだった。センセイはこういう機械をいじるのが大好きなひとだったっけ・・・ と思っている間に、センセイはヘッドホンをつけて、ギターのセンセイからエンジニアさんへと大変身。

「となりの寿司屋の室外機の音が入りますからね。完全な録音にはなりませんけどね。けっこういい音で録れるんですよ。」センセイはなんだか楽しそう。

「ちょっと弾いてみてください、ももこさん」
ポロロロローーン。
「はい、いい感じですねえ。ではいつでもどうぞ!」

ちょっとちょっと、センセイ。今日、録音するなんて話、聞いてなかったですよー! まだまだ弾けてないのにどうするのよ! とりあえず、弾きますけどね! ああーー、ほら、間違ったー! ああーー!、だから、あちこちで、ビーンって音がするんだってば! 嫌だなあ。こんな録音聞きたくないなあ。。。。

と心の中でぶつぶつ言いながらも、適度に緊張感を持って弾きました。

「もう一曲、弾き語りするんですよね? その歌も録音しましょう!」
「え? 歌も、ですか?」
「はい、せっかくですからね。リバーブはお風呂場みたいのにしておきましょー!」

というわけで、発表会で弾き語りするカリニョーゾも録音するハメに・・・

「はい、お疲れ様でしたー。じゃ、聞いてみましょう!」

教室の大きなスピーカーから流れてくる、ももこさんが弾くギター曲、"Le Pelerin"  初めて聞く自分のギターの演奏。

音がブツブツ切れて落ち着きがない。そして、指が押さえきれないところで汚い雑音が聞こえる。ああ、嫌だ、いやだ。こんなギターを他人に聞かせるのは嫌だなあ・・・・

「もっと、歌うように弾くといいですよ、ももこさん」とセンセイがおっしゃいます。そうですね。その通り。メロディがつながって歌に聞こえるようになると、もうちょっと音楽らしくなるような気がする。わたしのギターは、まだ、音をおっかけるのに精一杯で、メロディが滑らかにつながって聞こえないんだ・・・ 自分でもわかっていたつもりのことだけれど、こうして録音を聞いてみると、あらためて「歌うように弾くといいですよ」というセンセイの言葉が納得できる。

発表会まであと3週間。メロディがつながって聞こえるまでになるだろうか? ももこさんのギター・・・・


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