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2006.04.10

カチューシャ 3

第二次大戦の最中、ナチスドイツのソ連侵攻という事態の最中にロシアの人々の間で歌われた「カチューシャ」。戦後の日本でその「カチューシャ」が、夢多き青春の歌という装いで紹介されたのは、なぜでしょうか?

「カチューシャ」が日本語で初めて歌われたのは1948年。この年、共産党系の音楽集団である「中央合唱団」が設立され、その指導者であった関 鑑子が日本語の歌詞をつけました。

中央合唱団は次々とロシア民謡や労働歌、反戦歌を発表し、それらの歌は、各地の労働運動や平和運動の場で歌われていきます。

関 鑑子は、「カチューシャ」が戦中、戦後のロシアでどのような状況で歌われた歌だったかを知らなかったのでしょうか? 

彼女は知っていたはずだ、とわたしは思います。共産主義運動に深くかかわっていた声楽家、音楽家の関 鑑子。たとえ彼女自身がこの歌の背景を知らなかったとしても、彼女の周囲には「カチューシャ」の意味を知っている人がいたはずです。原詩のロシア語を読みこなせる人間もいたはずです。

ではなぜ、関 鑑子は「カチューシャ」に青春歌の詩をつけたのか。

ここから先はわたしの大胆な(?)推理ですけどね。

バリバリの共産主義活動家だった関 鑑子だけれど、中央合唱団のレパートリーの中に、ほっとできる楽しい歌を入れたかったのではないかな。

1948年、中央合唱団設立時のレパートリーには、 「団結、がんばろう!」的な、社会運動を鼓舞する歌が並んでいます。その中に1曲ぐらい、青春歌を入れたいと思ったのではないでしょうか。

終戦直後のヒット曲といえば「りんごの歌」が有名ですね。

 ♪赤いりんごに くちびる寄せて
 ♪黙って見ている 青い空

「カチューシャ」のメロディと、「りんごのと梨の花が咲いた」というロシア語の歌いだしの歌詞を見たとき、関 鑑子の頭には「りんごの歌」が流れたに違いない。そして、「りんごの歌」の大ヒットにあやかって、「カチューシャ」を歌声運動の愛唱歌として広めようという意識が働いたのじゃあないかしら・・・というのがわたしの推理です。


その後、「カチューシャ」は1955年から各地に次々オープンした歌声喫茶で愛唱されます。アコーディオンなどの簡単な伴奏で、歌集を手に手に、日本や世界の民謡や童謡、唱歌、歌曲をみんなで歌う「歌声喫茶」は都会で生きる若者達の出会いの場であり、心の支えでもあったでしょう。


さて。

Momokoライブでのリクエストに話を戻しましょう。

「カチューシャ」をリクエストされたおじさまは、青春時代に歌声喫茶に通われていたのでしょう。歌声喫茶を懐かしむ人は少なくなく、各地で歌声喫茶の歌集を持ち寄って歌う会、という催しが開かれています。

関 鑑子がつけた「カチューシャ」の日本語の歌詞は、確かに、オリジナルの歌詞からも、ロシアの時代背景からもかけ離れたものです。

でも、戦後の日本の庶民に歌い継がれてきた日本版「カチューシャ」は、日本人の愛唱歌、心の歌と言えるでしょう。そして、混乱の戦後から高度経済成長を生き抜いてきた世代には、青春の懐メロの一つなのですね。

4月のライブでリクエストされた「カチューシャ」。5月のカフェ・ド・ノーブルライブで歌います。「2ヶ月待ちが当たり前」のMomokoへのリクエストですから、異例の速さ(?)でおこたえいしちゃいます。

歌集を手に手に、肩寄せあって次々と歌っていた歌声喫茶の情景を思い起こしながら歌いましょう。

 りんごの花ほころび
 川面に霞たち・・・・・

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