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2008.05.10

七つの子

ブラジルの歌手、ヘナータ・ブラスがゲスト出演するというコンサートを聞きにいった。
配布されたプログラムを開くと、何曲目かに「ヘナータ・ブラスがサンパウロで知り合いの日系人に教えてもらった日本の歌を日本語でご披露します」と書いてある。

コンサート後半。「これからヘナートが日本の歌を歌います」という紹介のあと、ヘナート・ブラスはゆっくりとギターを弾いて歌い始めた。

 カーラース
 ナゼ ナクノー

客席からかすかな笑い声が漏れた。それは、ステージ上のちょっとしたアクシデントを笑うのに似た忍び笑いだったけれど、とにかく客席の日本人の何人かは笑った。

ヘナート・ブラスはゆっくりと歌い続ける。

 カーラース 
 ナゼ ナクノー
 カラスワ ヤーマーニー

なぜ笑うんだろう?

大の大人の彼が、日本の歌を歌いますといって歌ったのが子供の歌だったから?

それとも、歌い方かわいらしいから?

ポルトガル語を母語とするヘナートの日本語の発音はかなり上手だったけれど、出だしの「カーラース」の最初の「カ」は、日本語の「カ」よりもずっと口を横に開いた明るい響きの「カ」だったかもしれない。それがかわいらしく聞こえたから笑ったのか?

ヘナート・ブラスがこの歌に特別の愛着を持っていたかどうかはわからない。おそらくコンサートの主催者の要請にこたえて日本の歌をうたったのだろう。

けれど、日系人に教わったというのが本当の話だとすれば、この歌の歌詞の意味を少しは聞いていただろう。そして、「日本人なら誰もが知っている童謡で、とても懐かしい歌だ」というふうに聞かされたのではないだろうか。少なくとも、この歌を日本でうたって、客席から忍び笑いが聞こえるとは思いもよらなかったことに違いない。

なぜ笑うんだろう?

わたしは恥ずかしくなった。忍び笑いの客席が腹立たしかった。歌い終わったあとの、ブラジル通らしき観客のÓtimo!(すばらしい!)の歓声が疎ましかった。

なぜ笑うんだろう?

わたしはとても惨めになった。日本人は、いつから「七つの子」を素直になつかしいと感じなくなってしまったのだろう?
外国人が「七つの子」を歌ったときに、この歌の懐かしさを共有する心を、いつから失くしてしまったのだろう。日本人には日本の歌を愛でる感覚はもはやないのだろうか。

・・・・・

野口雨情作詞の「七つの子」の「七つ」とは何かという謎が取りざたされることがある。

七羽の子なのか?
七歳の子なのか?

どっちでもいいし、どっちでもない。

子ガラスの餌を探しに出かけては「カア、カア」と鳴き、子ガラスが待つ巣に帰るにつけて「カア、カア」と鳴く。「かわいい、かわいい」と鳴かずにはいられない親カラス。

生まれたわが子を無条件にかわいいと感じる。そういう仕組みが鳥や獣の遺伝子には組み込まれているに違いない。わが子はかわいい。かわいがらずにいられない。それは、次の世代に命を伝えるために野生の動物の遺伝子に組み込まれた仕組み。もちろん、人間にもその仕組みは備わっていたはずだ。

野生の動物は過酷な条件の下で生きている。自分が生きるだけでも命がけなところに子供を産んで育てなければならない。子育ての原動力が「わが子はかわいい!」という感覚ではないか?

「可愛、可愛と烏は啼くの」という言葉に共感していた日本人の多くは、日々の生活が苦しくて、その苦労の中で、「わが子はかわいい!」という感覚に支えられて、突き動かされて、必死に子育てして生きてきた。

その「わが子はかわいい!」という野生の動物に共通の感覚がだんだん薄れているのかもしれない。そして、「七つの子」の歌詞に込められた切ないほどの親心を聞き取れなくなっている。

「子供を産んだことのないくせに何、感傷的なこと言ってるの? 子育てってそんなあまっちょろいものじゃないわよ!」と言われるかもしれない。

実際、わたしは小さい子供が苦手。人間の子供よりは猫のほうに親近感を持っているぐらいだ。

けれど、根拠のない確信がある。自分の子はかわいいに違いない。もしも自分に子供がいたならば、思い通りにならぬ子育てに右往左往しながらも、「わが子はかわいい!」の一念でがむしゃらにがんばるのではないか、という気がする。他人の子はともかく、自分の子はかわいいと感じるように思う。そういう大人でありたい。そういう人でありたい。


 七つの子
  
   野口雨情作詞
   本居長世作曲

 烏 なぜ啼くの
 烏は山に
 可愛い七つの
 子があるからよ
 可愛 可愛と
 烏は啼くの
 可愛 可愛と
 啼くんだよ
 山の古巣に
 行つて見て御覧
 丸い眼をした
 いい子だよ


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コメント

その場にいらした方へ
コメントありがとうございます。
もちろん、わたしも知ってますよ。「からすの勝手でしょ!」
でも、ヘナート・ブラスのあの見事な歌唱を聞いて、「からすの勝手でしょ」を連想して笑ってしまうというのは、やっぱり日本人として情けないと思いますねえ。

投稿: ももこ | 2008.05.30 17:09

こんにちは。私もその会場にいました。

ももこさんはご存じないかもしれませんが、「七つの子」は、20年ほど前にドリフターズの志村けんが「か~ら~す、なぜ泣くの?からすの勝手でしょ!!」という替え歌をテレビで歌って流行になりました。
30~40代のひとなら、あの歌の出だしを聞いてクスッとなるのは仕方無いのかも・・・

投稿: その場にいた者 | 2008.05.30 15:38

hideさん
そうですね。大拍手を信じましょう。信じたいです。客席の人々がそれぞれの心をこめて拍手したことを。
暖かいコメント、ありがとうございます。

投稿: ももこ | 2008.05.11 21:52

言い文章だ、色々考えさせられた。でも、客席の忍び笑いにはそんなに重大な(子育てへの使命、本能などの喪失?)意味はなかったと思う。発音に違和感があって思わず、笑ってしまったのではないでしょうか。私はそう感じます。歌い終わっての、大拍手を信じましょう。大部分の日本人はそんなに物事を突き詰めて必死で生きてはいない、ように思います。色々な人がいて、色々な生き方があって、それぞれのレベルで「幸せ」なのではないでしょうか。
 生意気言って済みません。

投稿: hide | 2008.05.11 19:45

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