一日休めば・・・
子供のころに教えられた言葉にこんなものがあった。
芸事は
一日休めば自分でわかり
二日休めば師匠にわかり
三日休めば客にわかる。
たゆまぬ努力、精進の大切さを説く言葉。
なんて大げさな言葉なだろう、と子供心に思った。エライゲイジュツカのための言葉なんだろうなあ。わたしには関係ない、カンケイナイ・・・と思っていた。
最近、練習のたびにこの言葉を思い出す。
「一日休めば自分にわかり、」
「あ、この間までできなかったことが今日はちょっと出来るみたい!」という瞬間がある。その「できるみたい」なきっかけを逃さずに何日間か集中して練習できるといいのだが、そういうときに限って仕事が夜遅くなったり、あるいは、目前に迫ったライブ用の曲を練習しなければならなかったりで、せっかく掴みかけた小さな進歩の兆しをとことん追求する基礎練習に時間を使えないことがある。
何かをつかみかけているときは練習を休んではいけないのだ、と痛感する日々である。
ギターは両手で弾くものだ、とある日気がついた。ギターで鳴らすリズムは、弦をはじく右手と弦を押さえる左手の共同作業で生まれるのだと。
それは当たり前のことで、ずっと前から理解はしていたことだけれど、ある日、「それはこういうことなんだ、きっと!」と体で納得する瞬間があった。
でも、それはあくまでも一瞬のことで。その「小さな進歩の兆し」を掴み損ねると、またいつもの「どったん、ばったん」のギターに逆戻り。
ひたすら弾き続ける。あの時、わたしのギターから聞こえたの一瞬のリズム。右手の指の力が抜けて、パーカッションを叩くようにスパッと弦を弾き、左手は左手でリズムを刻み、両手の相乗効果でくっきり、シャキっとしたリズムが鳴った数秒間。
ああ、あの時、何時間でも、何日でも弾き続けるべきだった。
あの数秒間の奇跡を、奇跡ではなく自力で再現できるようになるために、ひたすらギターを弾き続ける今日この頃。
わたしの体験した奇跡など、ギターをちゃんと弾ける人にはできて当たり前のことなわけで、ここで「芸事は一日休めば・・・」なんていう格言を持ち出すのは大げさな話だ。
けれど、今のわたしがギターのごくごく基本的なところで「進歩の兆し」をつかみそこねて歯がゆい思いをするということは、達人たちも、芸事に真摯に取り組む人であるならば、常に「進歩の兆し」を逃すまいと追求し続けているのだろう。その探究心がおろそかにされたとき、「二日休めば師匠(その分野をよく知る人々)にわかり、三日休めば客(その分野に詳しくない人々)にわかる」という結果になるのろう。
一日休めば自分にわかる。本当によくわかる。今現在、「一歩進んで二歩下がる」状態のわがギター。なんとか、「三歩進んで二歩下がる」状態に持っていきたいものだ。
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