下町人情
某月某日。
全盲のオジサマと二人で、下町のとある町の事務所に出向いた。
用事を済ませて事務所を出たのがちょうどお昼どき。
「この近くに旨い蕎麦屋があるんですよ。
いかがですか?」とオジサマ。
「それはいいですね。何というお店ですか?」とモモコ。
「店の名前は覚えてないんだけど、道順はだいたい説明できると思いますよ。」とオジサマ。
「そうですか? ではご一緒しましょう!」とモモコ。
白い杖のオジサマと、細いお目目のモモコは、旨い蕎麦屋を目指して歩き出す。
「事務所を出たら左にまっすぐ。5本目の道を左に曲がります」とオジサマ。
「はいはい、ここが5本目。左に曲がりまーす」とモモコ。
「1本目か2本目の道を右に曲がってしばらく行った右側なんですよ」とオジサマ。
「1本目か、2本目の道ですか・・・じゃあ、まず・・1本目を右に入ってみましょう・・・」とモモコ。
それらしきお店は見当たらない。
「では、次の角で左に曲がりましょう。そこが2本目の道ですからね」とオジサマ。
次の角で左に入った。
車が1台通れるほどの道幅の道を歩いてみるが、それらしき店は見当たらない。
白い杖のオジサマと、細いお目目のモモコと二人。
あっちの角を曲がってみたり、こっちの角を覗き込んでみたりするうちに、すっかり迷子になって途方に暮れる。
その時、印刷工場みたいな建物からおじさんが3人出てきた。
「すいません。このへんに福井のお蕎麦の店があると聞いたんですが、どの辺でしょう?」と、おじさん達に尋ねるモモコ。
「蕎麦屋? 知ってるか?」と、一人目のおじさん。
「藪蕎麦か?」と、二人目のおじさん。
「いえいえ、藪蕎麦じゃなくて、福井のお蕎麦のお店なんです・・・」と、白い杖のオジサマ。
「ああ! あの、高い蕎麦屋だな!」と3人目のおじさん。
「そこを右に曲がって左に曲がったらすぐだよ」と教えてくれた。
しかしながら、右に曲がって左に曲がっても、ますます迷路に分け入るばかり。
途方に暮れる白い杖のオジサマと、細いお目目のモモコの前で、建物の戸が開いて、ワイシャツ姿のおじさんが自転車に乗ろうとした。
「すいません! このあたりに福井のお蕎麦のお店があると聞いたんですが・・・」と、自転車のおじさんに尋ねるモモコ。
おじさんは住宅地図のような詳細な地図を開いて調べてくれようとしたのだが、あいにくその地図には蕎麦屋の情報は載っていなかった。
「すいませんねえ。わたしは地元の人間じゃないものですから・・・」と謝られてかえって恐縮。
そこへ通りかかった一台のワゴン車。
運転席の窓が開いて、おじさんが顔を出す。
「どこか、お探しですか?」
「ええ・・・あの・・・この近くに福井の蕎麦のお店があると聞いたんですが・・・:」と、白い杖のオジサマと細いお目目のモモコは声をそろえて尋ねてみる。
「ああ、あの新しくできた蕎麦屋ね。すぐそこなんだけど、口で説明するのは難しいなあ。乗ってくださいよ。お連れしますから」
お言葉に甘えて、ワゴン車の後ろに乗せていただいて、越前蕎麦のお店の前まで連れていっていただいた。
車は1区画をぐるっと回って行ったのだが、お店に着いてみれば、そこは最初の印刷工場のおじさん達のところから右に曲がって左に入ったところだった。
建物と建物の間に車一台が通れるほどの隙間があったのを、お目目の細いモモコは次の道だと勘違いしてしまい、わからなくなってしまったらしい。
東京の人間は冷たいなんて言うけれど、どうして、どうして。
旨い蕎麦屋に行きたいという、白い杖のオジサマと細いお目目のモモコのささやかな願いに、下町のおじさんたちは親切に、一生懸命つきあってくださった。
下町人情の隠し味がきいた越前蕎麦で、胸もお腹もいっぱいになったのでした。
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