2008.06.04

たった一人の聞き手

6月3日。
サンバ三人組、ウン、ドイス、トレス!ライブ。

雨。寒い。週前半の平日の夜。
「ごめんなさい、今日は行けなくなりました」とメールが何通か届く。

客席に座ったのは一人だけ。

ライブハウスのたった一人の聞き手というのは居心地の悪さを感じることが多いものだ。無理して盛り上げようとするとわざとらしく、静かに聴いていようとすれば、さびしい店内に演奏が空しく響くようでいたたまれなくなる。

今日のたった一人の聞き手の彼女は、客席に彼女一人しかいないことなどものともせず、よく飲み、よく食べ、よく喋り、よく盛り上げ、よく踊って、帰っていった。

そんな彼女が今宵のライブに来てくれたことが心底嬉しかった。

そして、もしも自分がたった一人の聞き手になったならば、今宵の彼女のように、まわりの空席にひるまずに演奏を一人で楽しむ自分でありたい。

久しぶりに会えたたった一人の聞き手のあなた。ありがとう!

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2008.05.11

一日休めば・・・

子供のころに教えられた言葉にこんなものがあった。

 芸事は
 一日休めば自分でわかり
 二日休めば師匠にわかり
 三日休めば客にわかる。

たゆまぬ努力、精進の大切さを説く言葉。

なんて大げさな言葉なだろう、と子供心に思った。エライゲイジュツカのための言葉なんだろうなあ。わたしには関係ない、カンケイナイ・・・と思っていた。

最近、練習のたびにこの言葉を思い出す。

 「一日休めば自分にわかり、」

「あ、この間までできなかったことが今日はちょっと出来るみたい!」という瞬間がある。その「できるみたい」なきっかけを逃さずに何日間か集中して練習できるといいのだが、そういうときに限って仕事が夜遅くなったり、あるいは、目前に迫ったライブ用の曲を練習しなければならなかったりで、せっかく掴みかけた小さな進歩の兆しをとことん追求する基礎練習に時間を使えないことがある。

何かをつかみかけているときは練習を休んではいけないのだ、と痛感する日々である。

ギターは両手で弾くものだ、とある日気がついた。ギターで鳴らすリズムは、弦をはじく右手と弦を押さえる左手の共同作業で生まれるのだと。

それは当たり前のことで、ずっと前から理解はしていたことだけれど、ある日、「それはこういうことなんだ、きっと!」と体で納得する瞬間があった。

でも、それはあくまでも一瞬のことで。その「小さな進歩の兆し」を掴み損ねると、またいつもの「どったん、ばったん」のギターに逆戻り。

ひたすら弾き続ける。あの時、わたしのギターから聞こえたの一瞬のリズム。右手の指の力が抜けて、パーカッションを叩くようにスパッと弦を弾き、左手は左手でリズムを刻み、両手の相乗効果でくっきり、シャキっとしたリズムが鳴った数秒間。

ああ、あの時、何時間でも、何日でも弾き続けるべきだった。

あの数秒間の奇跡を、奇跡ではなく自力で再現できるようになるために、ひたすらギターを弾き続ける今日この頃。

わたしの体験した奇跡など、ギターをちゃんと弾ける人にはできて当たり前のことなわけで、ここで「芸事は一日休めば・・・」なんていう格言を持ち出すのは大げさな話だ。

けれど、今のわたしがギターのごくごく基本的なところで「進歩の兆し」をつかみそこねて歯がゆい思いをするということは、達人たちも、芸事に真摯に取り組む人であるならば、常に「進歩の兆し」を逃すまいと追求し続けているのだろう。その探究心がおろそかにされたとき、「二日休めば師匠(その分野をよく知る人々)にわかり、三日休めば客(その分野に詳しくない人々)にわかる」という結果になるのろう。

一日休めば自分にわかる。本当によくわかる。今現在、「一歩進んで二歩下がる」状態のわがギター。なんとか、「三歩進んで二歩下がる」状態に持っていきたいものだ。


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2008.05.05

ライブ快

最近、ひそかに追っかけているお兄さん(おじさん?)がいる。

りびけん

だいぶ前に、荻窪アルカフェに遊びにいったら、この不思議なお兄さん(おじさん?)がウクレレ弾き語りをしていて、ウクレレも上手いけど、歌いっぷりのよさがちょっと気に入った。

アルカフェは、ウクレレが壁にたくさんぶら下がっている店なのだが、りびけんさんは、歌い(弾き)終わると、壁にかかっているウクレレをみんなに配って、突然ウクレレ教室を始めた。

おかげで、「バラが咲いた」のコードを教えてもらえて、その後わたしのカヴァキーニョ(ウクレレの従兄弟みたいなブラジルの楽器)弾き語りの数少ないレパーーリーリーに加わった。

なんだか、愉快なおじさんだ。いや、お兄さんかな。

それっきり。りびけんさんのことはすっかり忘れていた。

一月ほど前だったか。ひょんなハズミでりびけんさんのブログを読んだら、これが面白い。その日、その日の出来事などなどをずばずばずばっと書きなぐる。読んですっきりするブログである。

そして、りびけんさんはウクレレ弾き語り以外にアカペラコーラスをやっていることを知り、池袋のお店に聞きに行った。

類は友を呼ぶ。歌いっぷりといい、かっこつけない(かっこつけてるのだとしたら、ごめんなさい。ほめてますから)、少々危なっかしいハーモニーを補って余りある愉快なアカペラコーラス。すっかりご機嫌になったわたしは、ついつい自分も歌いたくなり、前半のステージを聞いたところで帰ってきてしまった。

池袋駅から高架下の歩道を大きな声でサンバを歌いながら歩いて帰ったのである。

そのりびけんさんが、新宿のライブハウスの弾きがたりデーに急きょ出演が決まったという。

その日は四谷で友人たちと食事をしていた。彼女達と別れたのが8時ごろ。りびけんさんの出番は確か最後だった。今から歌舞伎町に向かえばちょうどいい時間だ。

歌舞伎町の店に着くと、何番目かの出演者がオリジナルを弾き語っていた。その次は、ちょっとお笑い系の入った弾き語りのお兄ちゃん。

わたしは非常に行儀の悪いお客であった。なにしろりびけんさん以外は興味がない。弾き語りお兄ちゃんの声がガンガン響く中、ソファに座って居眠りしていた。

そして、りびけんさんグループ登場。

名づけて三馬鹿トリオ。

類は友を呼ぶ。
名は体を現す。

すばらしくお馬鹿でご機嫌なライブ。ウクレレはシャキッと鳴り、パーカッションは小気味よい。そしてりびけんさんのすかっとする歌いっぷり。わたしは勝手に立ち上がって、歌って踊って手拍子して、キーホルダーについているブラジル土産のミニガンザを振って、愉快さを体一杯満喫させていただいた。

昔、名曲喫茶というお店があった。大きなスピーカーからクラシック音楽がかかり、人々は黙々とクラシック音楽を聴いて過ごす。

ある名曲喫茶には、レコードに合わせて指揮棒を振る名物おじいちゃんがいたという伝説を聞いたことがある。

昨夜のわたし。ステージ上のトリオの思惑も、行儀よく聞いてるほかのお客の迷惑もなんのその、ひとりで勝手に盛り上がって、ライブが終わると挨拶もせずにさっさと帰る。

そんなわたしは、はたからみれば名曲喫茶の指揮棒おじいさんのようだったかもしれない。完全に自分の世界に浸っている変なおばさん。

今のわたしは濃い音楽、濃いパーフォーマンスが欲しい。客席で心置きなく盛り上がれるような、ガツンと楽しませてくれるライブが欲しい。

そういう気分にジャストフィットなライブを聞けると最高に満足できる。朝、目が覚めたときに、「今日はとんかつだ!」とひらめいた日に、その日の予定をやりくりして、首尾よく最高に美味いトンカツにたどりついた喜びに通じる充実感である。

そうなんだ。わたしにとってライブは快感なんだと思う。

その日の気分、心境、体調にジャストフィットなライブを聞きたいという欲求は、食欲にかなり近い生理的な欲求なのだと思う。

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2008.05.04

筋トレ

「今年のクリスマスはブラジルに行こう!
新年のカウントダウンはリオ・デ・ジャネイロ!
サンバをいっぱい覚えて
ブラジル人といっしょに歌いまくろう!」

新年早々、サンバ仲間3人で設定した今年の目標である。

さっそく、サンバ・レパートリー拡充作戦開始。

最初の課題曲は、Não Quero Saber Mais Dela~Malandro Sou Eu~Sonhando Eu Sou Felizの3曲。Beth Carvalhoのアルバムに入っているメドレーをそのまま覚えて歌おう!というものだった。

アップテンポのノリのいいメドレーが楽しくて、「これ、歌いたいねえ!」とやる気になったものの、いざ覚え始めてみると、アップテンポすぎて歌詞がメロディにはまらない。音程が聞き取れない。譜割りも疑問だらけ。

3曲メドレーの1曲目で早くも挫折しそう。

サンバ三人組ではパーカッション担当だから歌だけ覚えればいいのだが、この強敵メドレーをねじふせるには、ギターを弾いてひとりで歌えるまでにマスターしなければならぬ!

わたしは奮起した。

かなりの苦労の末になんとか3曲を歌えるようになると、今度は3曲のギターのコード進行を覚える。これで、なんとか弾いてうたえるはず。

ところが。

ここで思わぬ難題に出くわす。3曲メドレーを、歌いたいテンポで、シャキッとした音で弾きとおすことができない。右手が途中で力尽きてしまうのです。

サンバのリズムを刻む右手。一定のテンポで、失速することなく、明確なタイミングで、シャキッとした音色で弾き続けることができない。

たった6分のメドレーを弾きとおせない。なんて柔なわたしの右手。

この右手にサンバ筋をつけねば! 6分のメドレーを弾いてはひたすら右手を鍛える日々である。

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2007.11.12

小指の特訓

ブロウウェルのシンプルエチュードの1番。
今年のギター教室の発表会はこれを弾こうと決めたのは10月の半ばだった。

このところサンバ弾き語りに気持ちが傾いて、ギター教室の課題はほったらかし。
シンプルエチュードなら、かろうじて暗譜しているから、今年はこれをテキトーに弾いておこう・・・という軽い気持ちで選んだはずだった。

ところが、発表会までの1ヶ月間、この曲にずいぶんと泣かされた。

右手親指で弾くベース音がメロディ、右手中指と薬指でリズムを刻む。

ベース音のメロディ。
1小節目の4拍目。
4弦4フレットを小指で押さえる。
この「4弦4フレット小指」の音を毎回外してしまうのです。
この音を弾き損ねると曲にならない。大事な音なのに。

左手の小指は、他の指よりもだいぶ鈍感で不器用らしい。
他の指は、弾きたい弦の弾きたいフレットをサッと押さえられるのに、
小指だけは4弦4フレットをうろうろとあてずっぽうに探し回る。

何度も繰り返し練習すれば弾けるようになるだろう・・・
最初はそう思っていた。

しかし。一日、また一日と発表会は近づいてくる。
このままでは間に合わない!
なんとかせねば!

左手小指の特訓が始まった。


まず、各弦の4フレットを小指で押さえて弾く練習を試みた。
1弦、3弦、5弦、6弦、4弦、2弦・・・
というふうに、弦を飛び越えて、小指で確実に弾く練習。

これがそこそこできるようになったところで、またエチュードを弾いてみる。

だめだ・・・やっぱり小指は押さえ損ねる。

いっそ、左手は全く見ないで、手の感覚だけで弾くようにしたらどうだろう?

目をつぶってエチュードを練習してみた。
毎日、毎日、繰り返し。

少しずつ命中率が上がってはきたが、まだまだ押さえ損ねることの方が多い。

さらに特訓が必要なようだ。

1小節目の3拍めまでは開放弦しか使っていないことを利用して、
曲の出だしでは左手を膝に置いておいて、
1小節目の4拍目に、サッと左手を持ち上げて4弦4フレットを押さえて弾く練習をやってみた。

来る日も、来る日も、左手を膝に置いて弾き始める練習。

右手と左手の動きは、わたしの意識しないところで連動していることに気がついた。
左手の小指が一瞬ためらうと、右手の親指は左手小指のためらいを待ってしまう。
これではいけない!
右手はあくまで音符どおりのタイミングで4弦を弾くこと。
左手の迷いを許さないことを心がけた。

この練習を、発表会の日の朝までやっていたのです。
小指の命中率は80パーセントという状態で発表会のステージへ・・・

シンプルエチュード1番には、「左手小指で4弦4フレット」が4回出てくる。
発表会では4回ともかろうじて押さえられた。

そこだけを見れば、特訓の成果ありと喜んでいいと思う。

けれど・・・

小指が押さえるべき場所を押さえるというのは当たり前のことで、
このエチュードで練習すべき課題はその先にある。

小指が4弦4フレットを押さえる確率が100パーセントに限りなく近くなることを目指しながら、
その先の課題~右手親指のベース音と中指薬指で刻むリズムを独立して意識する練習~に取り組もう。
それは、サンバの曲を弾くときの意識のし方と同じでもある。
サンバばかり練習する最中に、テキトーに選んだ発表会の曲が、サンバやボサノヴァのギターの弾き方と同じ要素を持つ曲だったというのは、なんとも不思議でありがたいご縁ではある。

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2007.07.09

涼しい夜は外でうたおう

目白駅改札横の広場のベンチで歌いました。


夜9時から10時の1時間。

最初に自然に手と口がうたいだしたのは

O Pato

それから

Wave
O Barquinho
A Felicidade
Garota De Ipanema
Para Falar A Verdade

と、ボサノヴァ風が続く。

Carinhoso
Lamento
Rosa

と、ピシンギーニャ三点セット。

Fly Me to the Moon
Insensatez

ちょっと大人な雰囲気になりたいときに歌ううた。

瞳はダイヤモンド。
満ち潮の夜。
第三病棟。

最近のライブを思い出しながら歌ってみた。

そして、最後は

Tristeza


たいして聞こえないだろうと思っていたギターが、思ったよりよく響いてくれて、なかなか歌いごこちがいい。


小さな駅。人ごみというほどの人はいない。

時折、「?}を顔に浮かべて、こちらのほうに歩み寄りながら通り過ぎるひとがいる。

車の往来が途絶える十数秒間。マイクを通しているかのように声が響く。

自分の部屋で歌う気ままさとは違う。ライブで歌う充実感とも違う。

たとえて言えば、にぎやかなファミレスで読書に没頭するような感覚だろうか。人の目と喧騒のおかげで、かえって自分の世界に集中できる。


天気と気分のよい日には、いや、気持ちが低迷するときでも天気さえよければ、ときどきこうして駅前で歌うのはいいかもしれない。夏から秋の音楽活動に、正式に加えてみようかしら。


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2007.05.01

海ゆかば

「子供の時に聞いた歌というのは、今でも耳に残っているものですね。」


お年寄りと世間話をしているうちにそんな話になった。

「たとえばどんな歌を思い出しますか?」と、わたしは何気なく聞いてみた。


「それがねえ。軍歌なのよ。あなたなんか知らないでしょう?」

「軍歌って・・・『同期の桜』とか?」

「そうそう。それにね。子供の軍歌っていうのもあったのよ」

「子供の軍歌?」

「あのころは子供のことを『小国民』って言ってね。『小国民の歌』っていうのを歌ったわよ」

「今でも覚えてますか?」

「覚えてますよ。こんな歌だった」


何十年ぶりかで歌うであろうその歌の歌詞を彼女はほとんどそらんじていた。

「それから、忘れられないのは『海ゆかば』ね。」

「海軍の歌ですよね。」

「この歌を聞くとぞっとするような恐ろしさを感じて、できれば聞きたくも思い出したくもないわね」

「それはなぜでしょう?」

「なぜだかはわからないけれど、大きなラジオからこの『海ゆかば』が聞こえてくると、恐ろしくなったのを覚えているわ・・・」


・・・・・

彼女が「小国民の歌」を歌ったり、「海ゆかば」を聞いたりしたのは、太平洋戦争の末期。彼女が5,6歳前後のことだったと思われる。

子供だった彼女が、数ある戦意高揚歌の中で、なぜ、「海ゆかば」にことさらに恐怖を感じたのだろうか。ちょっと気になったわたしは、家に帰って「海ゆかば」について調べてみた。そして、自分がこの歌に関して思い違いをしていたことに気がついた。。


「海ゆかば」は1938年、戦意高揚を目的に作曲され、NHKラジオから頻繁に流れ、戦時下の国民歌と言えるほどに広まった。

ラジオからの戦況報道によく使われた。特に玉砕報道の際に「海ゆかば」を流すことが度重なり、次第にこの歌は鎮魂歌として捉えられるようになった。

知り合いのお年寄りが、子供のころにこの歌を聞いて言い知れぬ恐怖を覚えたのは、おそらく、この歌が戦死者報道や玉砕報道の際に流れることが多かったからだろう。幼い彼女が歌詞を理解したとは思えない。けれど、ラジオからこの歌が流れるとき、恐ろしいことが起きているらしい、と周りの大人たちの反応を見て感じ取ったのではないだろうか。

現在、この曲がドラマやドキュメンタリー番組などで使われるときには、鎮魂歌として、静かな演奏が流れることが多い。が、戦時中のラジオから流れていたのは、フォルテシモで朗々と堂堂と終わる、という演奏スタイルだった。その大音量のエンディングも幼い彼女を不安にさせたのかもしれない。


・・・・・

「海ゆかば」は海軍で歌われた鎮魂の歌。海に沈んだ戦友の死を無駄にはすまい、と心に誓って戦いに赴く歌・・・というのが、わたしが抱いていた「海ゆかば」という歌のイメージだった。軍歌ではあるけれど、なかなかの名曲ではないか、とも思っていた。

だが、考えてみると、わたしはこの歌の歌詞をほとんど知らなかった。調べてみると、この歌は、万葉集に収められている大伴家持(おおとものやかもち)の歌にメロディをつけたものだった。

 海行かば 水漬く(みづく)屍(かばね)
 山行かば 草生す(くさむす)屍(かばね)
 大君の 辺(べ)にこそ 死なめ
 かえりみはせじ


天皇に近く仕えた大友氏一族が天皇への忠誠を誓った長歌の一部分。
戦意高揚にずばり当てはまる詩だったのだ。

作曲は東京音楽学校教授の信時潔(のぶとききよし)。西洋音楽に造詣の深い人物だった。

万葉集という古典に、当時一流の作曲家が曲をつける。荘厳で格調高い曲に仕上がった。

そして、繰り返しラジオから放送される。戦況の悪化とともに「玉砕報道」の音楽として、また、学徒出陣式の音楽として使われるようになる。荘厳な旋律にのせて、天皇のために死をいとわない、と歌い上げる。それは比ゆではなく、現実に「死をいとわない」ということを意味していた。そんな時代だった。


「海ゆかば」は戦友の死を無駄にはすまいと誓う歌、というわたしのイメージには大きな誤解があったのです。


「海ゆかば」は、鎮魂の歌ではない。天皇のためには死をいとわない、と決意を述べる歌、述べさせる歌だった。
そういう意図を持って作曲され、演奏され、放送された歌だった。
たとえどんなに荘厳で格調高い旋律であろうとも、他の多くの軍歌とその趣旨は変わらない。

・・・・・

「『海ゆかば』を聞くと恐ろしくてぞっとするのよ。聞きたくも思い出したくもないわね。この歌は」

子供のころを振り返ってこう語るお年寄りの言葉。幼い彼女が感じた恐怖は決して根拠のないものではなかった。彼女はこの曲の中に死を直感し、実感したのではなかっただろうか。


これから先、戦争について考えるとき、ラジオから流れる「海ゆかば」に恐怖を覚える幼い女の子の姿が、戦争の恐ろしさを非常に具体的に示してくれるイメージとして、わたしの中に繰り返し映し出されることになるだろう。

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2007.03.27

美しい姿になってみました

椅子に座る。

ギターを抱える。

足を組む。


クラシックの曲を弾くときは
左足を上にすると
ギターが少しだけ
からだの中心に近くなる。


ブロウウェルのシンプル・エチュード。
アルペジオの練習曲を、ゆっくりゆっくり弾いてみる。


ふと、左横の鏡を横目でちらりと見てみた。


ああ、やっぱり・・・前かがみ。
背中を丸めて、下を向いて弾いている。


何でもかんでも目を近づけなければよく見えない弱視のわたしは、ギターを弾くときも、指の形を確認しようとして、ついつい顔をギターに近づける。

アルペジオの練習曲。
何百回も練習したこの曲は、目をつぶっても弾くことはできる。


それならば・・・


美しい姿で弾いてみたらどうだろう?


正しい姿勢とは・・・

「あごを引いて頭を後ろにずらすようにする」と、東洋医学のメルマガに書いてあったっけ。


正しい姿勢とは

「肩甲骨をお尻のポケットにしまうような感じ」とピラティスの本に書いてあったっけ。


いろんな人のいろんな言葉を思い出しながら、体をまっすぐに、両肩の力を抜いて・・・

どうだろう・・・・?

横目で鏡をちらりとのぞく。


だいぶすっきりとした姿になった。

この姿勢では、顔がギターからだいぶ離れてしまう。指に目を近づけられないのはなんとも頼りない感じがするけれど、両手の指の動きと、指先の感覚、そして、両手で鳴らすギターの音に意識を集中して、ゆっくりゆっくり弾いてみる。

これでいいのかな。

鏡の「横姿」はだいぶ美しくなったけれど、この姿で弾き続けて、本当にいいのかな・・・・


美しい音は美しい姿に宿るのかしら・・・・・?

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2007.03.25

わたしの声はどんな声?

ある日の仕事中の出来事だった。

わたしは盲ろう者の通訳介助」という仕事をしている。「通訳」という仕事の性質上、ふだん、仕事中に発言することはめったにない。

ところが、この日のミーティングで突然、発言を求められた。


 「はい、では、私なりの考えを述べさせていただきますが・・・」


と話し始めて、びっくり仰天してしまった。


何にって・・・

自分の声に、である。

わたしの声って、こんなに低かったっけ????


普段、同僚や友人と話しているときの声よりも、ずっとずっと低い声。
おばさん声というわけではない(と思う)けれど、低くて、太くて、ちょっと怖そうな声。


自分の声にびっくり仰天して、発言が、しばし、しどろもどろになってしまった。


緊張すると声は上ずるものだ。
電話に出る時には声が高くなる。
話しにくい相手に話しにくい用件を切り出すときにも、声が高く細くなる。


歌っているときはどうだろう・・・ わたしの歌声は、どちらかといえば高めで細いのではないかしら?


あのミーティングの時の、低くて太くてちょっと怖い声は、いったいどこからどうやって出てきたのだろうか。

話し声には楽譜がない。その日の体調や感情の起伏で声は変化する。それはある程度意識していることだった。


でも、あのミーティングでの低くて太い声。
自分の声の範囲に、そんな低い声が含まれていることを意識したことがなかった。


家に帰った。
自分の部屋に行き、ドアを閉める。
誰にも聞かれない自分の部屋で、


 「では、わたしなりの考えを述べさせていただきます」と言ってみる。


電話に出るときのような高い声で。

職場の同僚に挨拶するぐらいの高さで。

ライブの時、歌の合間に話をするような感じで。

そして、そのミーティングで自分でびっくりしたぐらいの低い声で。

わからなくなった。


わたしの自然な話し声はどれなのだろう?


不意に発言を求められたときの、あの、低くて、太くて、怖そうな声が、本来のわたしの声なのだろうか・・・・

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2006.12.30

"ブレイク"違い

曲には、途中でブレイクというのが出てくることがある。

ブレイクとは・・・・

・・・・・・・・・・・・・
 ・ブレイク break (英)
 リズムを一時的に停止した
 空白部分のこと。
 (知っておきたい簡単な音楽用語
http://www.hidehiko-ohashi.com/knowledge_2.html)
・・・・・・・・・・・・・・・

曲の途中で、一瞬、リズムを刻むのを止めたり、特別なパターンのリズムを入れたりする「ブレイク」。

このところ、この「ブレイク」がわたしの悩みのタネ。


チャッチャッチャチャ!

と弾いたところで一拍休む。
あるいは、ちょっと変わったパターンを入れる。

次の拍から、もとのテンポで弾き始める。

これだけなのだけれど・・・・

休んだ後、すぐに元に戻れない。


音楽用語の「ブレイク」は、breakという英語です。
coffee breakなんていうときのbreakです。
「小休止」という意味です。

同じ発音で、brakeっていう英単語があります。
これは、自動車などの「ブレーキ」です。
「ブレーキを踏む」は、step on the brake と言うそうです。

どうやら、わたしがやってる「ブレイク」は、break(小休止)ではなくて、brake(ブレーキ)らしい。

チャッチャッチャッチャ!

と弾いたところで


急ブレーキ!
ついでに、ひと休み~

これじゃ、もとに戻れないのも無理はない。


ブレイクしても、音楽は止まらない。
ブレイクしても時間の流れは止まらない。
ブレイクしても体の揺れは止まらない。
ブレイクもまた曲の流れの一部なんだから・・・・・


ということに気がついた。

ブレイクがブレーキにならなぬよう、試行錯誤の日々なのです。

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2006.10.29

手首が痛い

ここ数ヶ月、ずっと気になっていた。

左手の手首がおかしい。
特に痛いというわけではないのだけれど、左手を使う動作に、スムーズに力を吸収してくれない違和感があった。

たとえば、建物の入り口のガラス扉を押しとき、不用意に左手を使うと、手首がくにゃっと負けてしまう。


たぶん、原因はギター。
どうしても修正ができない左手のフォームにあるに違いない。

危ないなあ・・・あまり無理をすると、ギターを弾けなくなりそうだ。
そんな不安をそこはかとなく感じながらも、ずっと弾いていた。

・・・・・

このところ、サンバの曲の練習ばかりしていた。暇さえあればギターを出して、バッキングの練習。サンバのCDから聞こえてくるあのギターのリズムは、どうやったら出せるのだろう? ちょっと出来たといっては有頂天になり、やっぱり野暮ったいギターだと気づいては一人で傷つく。

他人が聞いても面白くもおかしくもないバッキングの練習にすっかりとりつかれる日々。

そして、昨日、気がついた。

明日はクラシックギターのレッスン日!
1ヵ月後には発表会!
クラシックの曲、1ヶ月以上全然弾いてない!
どうしよう・・・

・・・・・

きょうのレッスンでは、当然、来月の発表会の曲の話になった。

「あの、先生。ここのところサンバの練習に打ち込むあまり、発表会の予定曲を練習してないんです・・・どうしましょう」と、おそるおそる切り出してみた。

「予定曲はブロウウェルの"シンプルエチュード"とゴンチチの"放課後の音楽室"ですよね? とりあえず聞かせてください」と先生がおっしゃるので、とりあえず弾いてみた。

1ヵ月半ぶりに弾く2曲。
大好きな曲。春から夏にかけて、けっこう熱心に練習していた。

そうだ・・・

この2曲を根をつめて練習していたころだ・・・手首の違和感を感じ始めたのは。

2曲とも、かなり指を開く押さえ方が出てくる。何度も弾いていると左手の小指の付け根から手首にかけて鈍い痛みを感じてしまう。

きょう、先生の前で弾いている間にも、徐々に左手の小指側が辛くなってくる。

「実は先生。この2曲は弾いているうちに手首が痛くなるんです」
「それはですね。ももこさんが手首を折るクセがあるからです。
そこを修正しないと腱鞘炎になりますよ」

そして、手首を折らずに正しいフォームで押さえるように、いろいろとアドヴァイスをしていただいた。

もう何度も修正されているのだけれど、なかなか「正しいフォーム」にならない左手が恨めしい。

先生の指導のもと、こうかな? こうかな? と左手の形を意識しながら課題曲を弾いているうちに・・・・


痛くなってきた。

小指の自由がききづらくなってきた。


そして。


レッスンが終わってからも、ギターを弾かないでいても、何をしなくても、左手の小指の付け根から手首にかけての鈍い痛みは消えてくれない。


弾きたくて、弾きたくてたまらない今、手首が痛いなんて、我が身がもどかしくてたまらない。

でも、無理はやめよう。
ほんとに弾けなくなっちゃったら悲しすぎるから。

ギターは弾かなくても、
歌を歌ったり、CDにあわせてリズムをとったり、やることはいくらでもある。

サンバはギターだけじゃないものね。


でも、弾けないとなると、よけいに弾きたくなるのよねえ・・・・

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2006.08.19

た~~っぷり!!!

ひと月ほど前のこと、落語好きの母を誘って出かけた「ファミリー演芸会」という催し物で浪曲を聴く機会があった。

浪曲師というよりも、三味線を自在に操るエンタテイナーと言うほうがピッタリのその浪曲師は、「浪曲の楽しみ方」を面白おかしく解説してくれる。

中でも「かけ声講座」に客席は大笑い。

浪曲師が舞台に登場したら、

  待ってました!

そして、歯切れのよい三味線のイントロがひとしきりジャ、ジャ、ジャンっと鳴ったところで、

 た~~っぷり!!!

というのが、浪曲を知っているお客のかけ声だそうな。

 た~~っぷり!!

「時間など気にしないで、好きなだけやってちょうだい」という気持ちを込めて、

  た~~っぷり!!

とかけ声を飛ばすのだそうな。

  た~~っぷり!!

なんて気持ちのいいかけ声だこと! こんなかけ声を投げかけられた浪曲師は、さぞかし張り切って一節も二節もサービスしてウナるに違いない。

***

あいも変わらず毎日のように練習するバッハのインヴェンションの1番。

少し指が自由に動くようになってきた。そうだ。ためしにメトロノームに合わせて弾いてみよう。

そんなことを思いついた日から、インヴェンションの苦悩が始まってしまった。

メトロノームを40に合わせて弾いてみる。

かなりゆっくり。
指は十分追いついていける速さ。弾くこと自体には苦労はないはず・・・

だけれども・・・

まったくといっていいほどメトロノームに合わない。十六分音符が連なるフレーズで、指がトントントンと先走る。傍らで我関せずという風情で「カチ、カチ」鳴り続けるメトロノーム・・・

おかしいなあ。ゆっくり弾けばいいだけなのに、どうして合わせられないのだろう?

1分間に四分音符40個。それをさらに四等分して十六分音符を弾けばいい。込み入ったテクニックも何も関係ない。単純な話だ。

だけれども・・・・合わない。

何度か試みたところで、ふと思い出した。

  
  た~~っぷり!!


浪曲師へのかけ声。「あんたの名調子をたっぷり聞かせておくれ」というあのかけ声。それは、ただ、「たくさん聞かせてくれ」というだけではなくて、浪曲の、というか邦楽特有の喉づかい、声づかい、節回しを指しているのではないだろうか。浪曲の魅力は、まさに「たっぷり」と「隅から隅まで」歌いきるところにあるのだから。


  た~~っぷり!!


そうだ。

四分音符を機械的に四等分しようとするだけでは、体にしっくりこないのではないかしら?

目を閉じて、頭の中ににインヴェンションの楽譜を置く。そして、十六分音符の上に大きくスラーの記号を書き入れる。そのスラーの記号のように、大きく弧を描くイメージでメロディを歌ってみる。音符と音符の間の時間と空間を感じながら弾いてみる。筆で大きな円を描くようなイメージで・・・
隅から隅まで歌いきるように。


  た~~っぷり!!


少しずつ、メトロノームのカチカチに乗っかって弾けるようになってきた。大きな円周のコースを滑りながら十六分音符ごとに目印を落としていくようなイメージを、少しずつ、少しずつ、体が覚えていく。


  た~~っぷり!!


きょうも、自分で自分にかけ声をかけてから弾き始めるインヴェンションの1番。からだの内側から四分音符=40のインヴェンションが弾けるまで、た~~っぷり!!練習しましょう。

***

それにしてもバッハは偉大。簡単なのに、何千回弾いても飽きることがない名曲。

2声のインヴェンションの1番。

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2006.08.13

シンコペーションの音楽やね

よくある会話。

 
 「ももこさんのご趣味は?」
 「ギターを弾いて歌うのが好きです」
 「どんな歌をうたうのですか?」
 「ブラジルの歌、サンバやボサノバなどです。」
 「ほお、ボサノバ、いいですね。わたしも小野リサを時々聞きますよ。」


こういうやりとりを何十回、何百回と経験してきた。特別な意味のない世間話。静かで耳に心地よい音楽、というボサノヴァのイメージそのままに、何のひっかかりもなく通り過ぎていく世間話。


先日、関西のおばちゃんと、しばし世間話をした。


 「ももこさんは、何が趣味なの?」
 「ギターを弾いて歌うのが好きですよ」
 「どんな歌をうたうの?」
 「ブラジルの歌、サンバやボサノヴァですよ」

ここまではいつもと同じ流れだったのですが、関西のおばちゃんの次の台詞は不意打ちに近いものでした。


 「ボサノヴァといえばシンコペーションの音楽やね。」


時々、顔を会わせるそのおばちゃんは、お喋り好きで世話好きの愉快な関西のおばちゃんです。見たこと、聞いたこと、感じたことが関西弁に変換されて次々飛び出す。

そのおばちゃんが「ボサノヴァといえばシンコペーションの音楽やね」とさらりとおっしゃるものだから、わたしはビックリしてしまった。

70代のおばちゃんのべたべたの関西弁とシンコペーションという音楽用語のミスマッチの可笑しさもある。

しかし、わたしが驚いたのは、音楽に特に詳しくはなさそうなおばちゃんが、「ボサノヴァ」という言葉を聞いて、すぐさま「シンコペーション」という用語で答えたこと。

音楽仲間ではない相手との世間話で「ボサノヴァを歌うのが好きです」と自己紹介して、「シンコペーションの音楽ですね」と返事をされたのは初めてのことでした。

・・・・・

そのおばちゃんとの会話から数日後。わたしはギターを練習していました。おばちゃんに話したとおり、サンバやボサノヴァを弾いていたのです。

そして、ふと、おばちゃんの言葉を思い出しました。


 「ボサノヴァといえば、シンコペーションの音楽やね。」


そうだよね。サンバやボサノヴァはシンコペーションの音楽だ。

サンバやボサノヴァのギターは、「タタータータータ」と、拍からずれて進行する。これがシンコペーションというものだろう。

8年前、初めてギターを手にしたときからこの弾き方を教わったわたしは、シンコペーションなどという用語を意識する以前に、この弾き方を当たり前のように弾いてきた。

ところが、その日。
関西のおばちゃんの「ボサノヴァはシンコペーションの音楽やね」という言葉を思い出すと同時に、気がついてしまったのです。

わたしのギターは、時々、ちゃんと(?)シンコペーションしていない!

シンコペーションするということは、拍よりも十六分音符1個分前にずれるタイミングでコードチェンジするということです。ギターを弾いて8年になるのだけれど、いまだにコードチェンジが間に合わないことが時々ある。

間に合わないとどうするか?

コードチェンジ時の音を弾かない。抜かしちゃう。わたしの右手は妙なところで賢くて、左手が間に合わないと察知すると、右手は気を利かせてお休みしちゃう。「ここは弾かない」と頭で考えるより先に、左手が追いつかない時、右手は弦に触らないのです。左手と右手の「おさぼり」の連係プレイ。お見事!です。

というわけですから、コードチェンジするときに、往々にして、わたしのギターはシンコペーションしていないのです。

・・・・・

シンコペーションとは。辞書によれば。
 
  シンコペーション    【syncopation】

  〔専門〕 <音楽> 強拍と弱拍の通常の位置関係を変え、
  音楽のリズムに緊張感を生み出す手法。
  一般には、弱拍の音を  次に続く同一音高の強拍の音と
  タイで結ぶことによって作り出す。
  移勢法。切分法。切分音。
   (大辞林)


なるほどねえ。拍からずらすことで緊張感をもたらすはずのコードチェンジなのに、「ここは間に合わないからお休みね」と勝手にお休みしてしまった結果、わたしのギターは、しまらないサンバになったり、ブツ切れのボサノヴァになったりする・・・・


拍より前にずれた十六分音符の弾き方で、勢いがついたり、ゆったりと流れたり、ギターの雰囲気が変わるのだ・・・と、サンバのセンセイにも何度も教わったっけなあ・・・

せっかくの「要のシンコペーション」も、そこを弾かないことには話にならない。

・・・・・

というわけで、コードチェンジをごまかさずに、徹頭徹尾、終始一貫、シンコペーションするように、今まで手抜きしていた箇所を片っ端から練習している今日このごろです。

「ボサノヴァといえばシンコペーションの音楽やね」という関西のおばちゃんの台詞を思い出しながら。

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2006.08.01

この感触を待っていたのね

5月の末にクラシックギターを買った。たまたま訪れた楽器屋さんで、抱えた瞬間に、ずっと前からわたしのギターだったみたいにしっくりと体になじむそのギターを買った。

ほとんど一目ぼれで買ったギター。だが、いざ自分の部屋で弾いてみると、「ぼこぼこ」と重たくこもった音しか出てこない。

おかしいなあ。
お店ではあんなに弾き心地がよかったのに・・・
梅雨の湿気のせいかしら?

ちょっとした海外旅行に行けそうなお値段のギター。一目ぼれしたはずのギターが「ぼこぼこ」としか鳴ってくれないなんて悲しすぎる。

ふてくされたように、めんどくさそうに「ぼこぼこ」と音を出すギター。30分も経たないうちに弾いてるわたしは嫌気がさしてくる。

ああ、嫌だ。こんな音!

「ぼこぼこ」としか言わないギターなんかもうたくさん!

***

せっかくの新しいギターをケースにしまい、いつものエレガットをひざに抱える。

平成11年1月28日に購入したエレガット。アンプにつながなくても生音で楽しげにシャンシャンと歌いだす。たまに沈んだ音の日があるけれど、そんなときは静かな曲を弾いてあげると、そのうちに機嫌を直して、また愉快に歌いだす。

天気のいい日も悪い日も、ケースに入れて背中に背負って、あっちのお店、こっちの公園といっしょに歌い歩いた仲間。幼なじみのようなこのギターは、「たのしいのが一番大事!」というわたしの性分をよくわかっていて、明るい音を出してくれる。

好きな歌を次から次に弾いては歌う。右手の指に当たる弦の感触が、このごろますます気持ちよくなってきた。右手の指が気持ちいいと、ギターも気持ちいい音がするのよねえ・・・

右手に当たる弦の感触・・・・


あ。


幼なじみを置いて、ハードケースから新しいギターを取り出して抱えてみる。

右手の指が弦に当たる感触。
指をスパッと振り切って
弦に当たる感触。
力を入れて弾くのではなくて、
太鼓を叩くように、
スパッと指を振り切って弦を叩く。
そのときに、すっきりと歯切れのよい音が出る。

これは、幼なじみのギターを弾きながら最近気がついたこと。音量や歯切れのよさは、指の力を抜いて振り切る動作が関係するらしい。そして、力を抜いて振り切るためには、指の筋力が必要なのではないかしら?

ギター教室の先生が「ギターを弾いていないときに指のストレッチとトレーニングをするといい」と教えてくれたのは、こういうことだったのか・・・

*****

新しいギターでサンバのバッキングをゆっくり目に刻んでみる。

右手の指を振り切るように、
力を抜いて
弦を叩くように
そして直後にふっと力を抜いて
指を元に位置に戻す。

意識すればするほど「力を抜く」のは難しくなる。
厚みのある音色に神経がとらわれるのか、指使いが緩慢になる。
スパッと振り切るはずの指が、弦にまとわりついて「ねち」っと弦を押している。

そうじゃなくて!
幼なじみのギターを弾くときのように、
指をスパッと振り切ったら・・・

きっと

きっと


ほら!


ほんの一瞬。
シャキ!っと歯切れのいいコードが鳴った。
それは、幼なじみのギターのような陽気な音とは違う、しっかりと重みのある音。

新しいギターは、この指の感触を待っていたに違いない。
「ちゃんと弾いてくれれば、あなたの気持ちにこたえますよ」と言いたいのかもしれない。

新しいギターは、指のタッチに敏感に反応する。

このことに気づいた瞬間から、わたしは新しいギターを本気で弾くようになった。

耳を済ませて。
指先と音色に神経を集中させて。

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2006.07.14

放課後の音楽室

「最近はどの曲を練習してますか? ももこさん?」

先日のギター教室のレッスンで先生に聞かれました。

「最近は・・・この曲が弾けるようになってきました・・・」と言いながらわたしが弾き始めたのは・・・

「放課後の音楽室」


この曲を教わったのはもう2年も前のこと。

先生から3種類の楽譜を渡された。
メロディの楽譜。
伴奏の楽譜。
そして、独奏用の楽譜。

メロディだけ、伴奏だけを弾くぶんには易しい曲だった。でも、さしあたり二重奏の相手がいないわたしは、「難しいですよ」という先生の心配に頓着せず、独奏用の楽譜で練習を始めた。

難しかった!

左手の指が開かない。
セーハするコードではメロディの音が出ない。
まったく歯が立たないというか、指が立たない(?)コードもある。

何度も放り出し、しばらくしてまた弾いてみる。また放り出し、また気を取り直して弾いてみる。

そんなことを繰り返しているうちに2年が経った。2,3週間前に久しぶりに弾いてみたら、何とかかんとかメロディをつなげて弾けるようになっていた。

その「放課後の音楽室」。
ひととおり弾き終わると先生はこうおっしゃった。

「きょうは曲想をつけてみましょうか」
「はあ・・・」
「放課後の音楽室ですからね。最初は楽しく元気な感じがいいでしょう」?

楽しく元気に?

この曲の懐かげな出だしのメロディをどうやったら美しく弾けるだろうかと考えながら弾いていたわたしは、先生の言葉に違和感を感じてしまった。

この曲はしみじみと美しく弾くのが似合うのじゃないかしら・・・・

でも、ちょっと待って。

タイトルは「放課後の音楽室」。

そうか・・・

放課後。夕陽さしこむ音楽室に友達としのびこんで、ふざけてピアノを弾いたり、歌ったり。キャッキャとはしゃいでいるところへ先生が入ってくる。

「何、やってる?」

一瞬、ぎくりと体が固まるわたし達。
すると先生は準備室からギターを持ってきて弾きだした。

先生って、ギター弾けるんだ!

教科書どおりの音楽の授業。笛のテストに歌のテストに音楽記号や作曲家の名前を暗記しんきゃいけない期末テスト。音楽の授業を楽しいと思ったことはあまりない。

けれど、今、こうして先生のギターといっしょに歌っているとなんて楽しいんだろう! 

何曲かいっしょに歌ったところで、先生は「今度は僕が作った歌」と言って、オリジナル曲を歌いは始める。

ユーモラスな歌詞に大笑い。
先生には似つかわしからぬ(?)ラブソングに、聞いている方が気恥ずかしくなってみたり。

放課後の音楽室は、先生も生徒ものびのびと音楽で遊べる場所。好きな曲をうたう。いろんな楽器を触ってみる。そして、時には音楽について、人生について、語り合う。何の制約もなく音楽をたのしみ、ちょっぴり大人の世界を感じる空間。

夕陽がだいぶ傾いてきた。
「さあ、そろそろ帰る時間だね。」

名残を惜しみながら音楽室のドアをしめて廊下を歩くわたし達の頭の中には、先生のギターがずっと聞こえていた・・・・


なーんていう情景を瞬時に想像してしまいました。

そうか。放課後の音楽室は楽しい場所ですね、たしかに。
それならば、楽しげな音で弾きたいものだ。

曲に表情をつける。

二年前にはまったく歯が立たなかったEフラットメジャーセブンの音がだいぶ出るようになった今、ようやく、「放課後の音楽室」の情景を描くように弾きたいという気持ちになった。

自分の中のそういう変化が嬉しかった。

絵になるまでには、まだまだだいぶ時間はかかりそうだけれど・・・・


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2006.07.09

先生は魔法使い???

ある日。

「アルハンブラの思い出」を弾けるようになりたい!と突然思ってしまった。

弾きたいなあ!
この曲、弾けるようになりたいなあ!

めざせ! アルハンブラ!!

さて、何から練習すればいいのだろう?

そうだ! 教室で使っている練習曲集のアレを練習すればいいんだ! アレ!

「遥かなるアルハンブラ」

8小節でおしまいのとても短いトレモロの練習曲です。譜面の指使いを見て初めて「ああ、こうやって弾くのか!」とトレモロ奏法の謎が解けました。薬指→中指→人差し指と順番に同じ弦を弾く。親指はベース音をボーン、ボーンと鳴らす。なるほど~

仕組みがわかったところで練習開始!

最初はトレモロを弾く3本の指が空振りしたり他の弦にぶつかってしまったりで、どんなにゆっくり弾いても「薬指→中指→人差し指」の三連発が成功しない。

これは本当に「遥かなるアルハンブラ」だあ・・・

でも、2,3日練習すると、ゆーっくりではあるけれど、それなりに3本の指がそこそこ連続して弦に当たるようになった。

おお! 遥かなるアルハンブラへの第一歩!

ところが、です。ここで意外な壁にぶつかってしまいました。

ベース音を鳴らす親指が命中しないのです。5弦→4弦→3弦→4弦→3弦→4弦、と順番に動くベース音に親指が当たらない。

何日も何日も練習しました。トレモロの3本指は日に日に器用に動くようになります。

が、親指の命中率はさっぱり上がらない。

ああ・・・やはりアルハンブラは遥かなり・・・・

というところで迎えたギター教室のレッスン日。

「先生、『遥かなるアルハンブラ』がなかなか弾けないんですけど・・・」
「トレモロですね。トレモロはこうやって練習します。
「はい!」
「まず、1弦を親指で弾きます。」
「はい」
「それから、同じ1弦を薬指、中指、人差し指の順に弾きます」
「はい!」
「次に親指を2弦に動かして、残りの3本で1弦を弾きます」
「はい」
「次に、親指を3弦、4弦、5弦、6間と動かして、残りの3本は1弦を弾きます」
「はい!」
「つまりですね、ももこさん」
「はい?」
「トレモロは、親指が安定して弾けないとダメなんですよ」
「そーなんですよー! センセイ!!! 親指が命中しなくて困り果てていたんです~!」

そしてその場で練習すること数分間。

あれ? あれ? あれれれれれ?

親指が、2弦、3弦、4弦、5弦、6弦と、意図したところに当たるようになった!

「じゃあ、弾いてみましょうか、『遥かなるアルハンブラ』」と先生に言われて弾いてみたら・・・・

あれ? あれ? あれれれれれ?

弾けちゃう! 弾けちゃう!
さっきまで親指がほとんど命中しなかったのに、たった数分間先生の説明どおりに練習しただけで、怖いぐらいによく当たる!

まるで先生の魔法にかかったみたい! いや、先生は魔法を使ったのに違いない!

本当にそう思いました。それぐらい劇的な変化だったのです。

家に帰ると、魔法が解けないうちにトレモロの練習を続けました。親指が安定したせいか、3本指の動きも少し滑らかになったような気がします。

先生って偉大だなあ!


ひとしきりトレモロを弾いたところで、休憩かたがたギター仲間のレッスン日記を読みました。

最新の彼女の日記にはこんなエピソードがつづられています。


何をするにも小指が立ってしまう彼女。カップを持っても、ピアノを弾いても、ピーンと立ち上がる小指。

何年も習ったピアノの先生は、彼女の小指の矯正をあきらめてしまった。けれど、ギター教室の先生は見逃してくれなかった。

先生:小指は集中力で立たせないように!
彼女:でも、どうしても立っちゃうんです~
先生:ならば仕方がない! これを使おう!

そして先生は、彼女の小指が立つとぶつかる位置に(生け花用の)剣山を持ってきた!

先生:秘技剣山奏法!
彼女:ぎゃーーーー!!


もちろん、本当に剣山をあてがったわけじゃありません。そこに剣山があるつもりで弾きなさい、という先生のアドヴァイス。

すると、不思議なことに・・・

これまでのウン十年かの彼女の人生で、ピーンと立たずにはいられなかった彼女の小指が、どうにかこうにか立たずにおとなしくしていられたのです!


ああ、彼女も先生の魔法にかかったんだ!

ギター教室の先生というのはみんな魔法使いなんだろうか??

そんなはずはありません。ギターの先生だって人間です。魔法使いじゃありません。じゃ、どうして生徒は魔法にかかるのか?

ギターの先生の魔法。それは、先生と生徒のタイミングがジャストミートした結果じゃないかしら?

わたしは、トレモロを弾くのに親指がコントロールできないなあ、と悩みながら何日も練習していた。そこへ先生のアドヴァイス。ちょうどいい時にちょうどよいヒントをもらって、親指を動かすコツをのみこめた。

彼女は、「どうしたら小指を立てずに弾けるだろう?」と何日も何日も小指を意識して弾いてきたに違いない。そこへ先生のトドメのひと言の「秘技剣山奏法!」。その言葉に込められた「本気で弾こうよ、本気で、さ!」という先生の気迫が、彼女の小指をお行儀よくさせたのに違いない。

生徒のやる気と先生の適切な助言。この二つがかみ合ったときにギター教室の魔法は起こる・・・


それにしても、生徒がやる気になるまで何年も辛抱強くつきあってくれるワタシのギターの先生は・・・やっぱり偉大です。


さあ、きょうも練習しよう。

まだまだ雲の向こうに隠れて見えない遥かなるアルハンブラをめざして・・・

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2006.06.28

わたしは Amazing Grace を歌わない。

知人の日記をふらりと読みにいった。

「Amazing Grace のメロディが頭から離れない。」と書いてある。

ギター弾きの彼はもちろんギターを弾いてみる。けれど、ジャズ風のアレンジになじんでいるせいか、オリジナルのメロディをうろ覚えにしか知らないことに気がついた。

そんなお話だった。

ひと言、コメントを書いた。

「じゃ、今度お会いしたときに、「正統派無伴奏単音メロディのアメイジング・グレイスを弾いて差し上げますよ。これならMomokoにも弾けそうだ!」


本当に弾けるのかいな?

コメントを送信すると、傍らのギターを取り上げた。

最近、わたしはこういう風にしょっちゅうギターを抱いている。
ふと何かを思い出しては、手が自然にギターに伸びる。

Amazing Grace.

いい歌だけれど、とりたてて好きではなかった。これを歌えば感動の涙という筋書きが見え透いている。そんなシチュエーションで聞くことが多かったからだろうか。

Amazing Grace.

単音でメロディを弾いてみた。
一オクターブ、16小節に収まる単純なメロディを弾いてみた。

Amazing Grace

人差し指と中指で弦をはじく。
一音、一音に耳を澄ます。

祈りの音だと思った。
ギターが、祈りを音にしたいと
わたしの指を待っている。

Amazing Grace.

祈りは楽器の中にある。
ギターの声を
一音、一音に託した楽器の声を
そのまま響かせてやらねばならない。

指先と耳に精神を集中させて
単音のメロディを弾いてみる。

ごめんね。

今のわたしの指は
まだ、あなたの祈りを音にできない。

Amazing Grace.

何度かの試みの後、
今の自分の力のなさを思い知り、
そして、
わたしはギターと約束しました。

Amazing Grace.

わたしはこの歌は一生歌わない。

この歌は、
ギターの祈りの歌だから。
一つ、一つの音符にこめられた
ギターの祈りを
この指で響かせることができるように。

ギターといっしょに祈りながら
単音のメロディを弾こう。

いつの日か、
わたしの腕の中のギターの祈りが
空気を奮わせますように・・・

Amazing Grace.

わたしは、この歌はうたわない

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2006.06.25

コウカテキメン!

しばらく前から気に入って弾いている曲。

ブロウウェルの「シンプルエチュード」の6番。

不安定な響きのコードは徐々に激しさを増し、激情を吐き出すように昇り詰めたかと思うと、ふっと力が抜けて、天国に流れる小川のせせらぎのような音色になり、安らぎのうちに曲は閉じる。

そんな音のドラマが大好きで弾き続けている。


その日も、いつものように、気の向くままにシンプル・エチュードの6番を弾いて、自分の音に酔っていたわたし。

何度か弾いたところで、ふと、気がついた。

これって、エチュード。
つまり、練習曲なのよね。

アルペジオの練習曲。

ということは・・・

最近出番の多いメトロノームを取り出す。

最初は50から始めてみよう。
出だしがどうしても不ぞろいになるけれど、そこそこしっかり弾ける。

次は55。
これもしっかり弾けるみたい。

60、65,70,75。
メトロノームの目盛りを5ずつ上げて、それぞれの速さで何度も弾いてみる。

次は80。

不思議。
75まではけっこうしっかり弾けるのに、80になったとたんに右手の指がもつれる。

ああ、これが今のわたしの右手の限界なんだ。

メトロノームのカチカチにあわせてシンプル・エチュードを弾いているうちに、あっというまに2時間が経っていた。

そして。

エチュードの効能を思い知る。
指の動きを効率的にトレーニングできるのです。
弾きたい弦を、弾きたい指で、弾きたいタイミングで、弾きたい強さで弾く練習。
指の運動神経を高める練習を集中的に出来るのです。

ブロウウェルのシンプル・エチュードの6番。
大好きな曲は何十回弾いても飽きることがない。
このエチュードを、メトロノームといっしょに弾き続けたら、わたしの指はもう少し、もう少し、言うことをきくようになるかしら・・・

きょうも、始まりは四分音符=50。
ブロウウェルのシンプル・エチュードの6番で、わたしのギターの一日は始まります。

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2006.06.19

ABCの歌じゃないんだってば

先週の金曜日。とある小さなお店のパーティにお呼ばれして、サンバ仲間3人で賑々しくサンバを歌ってまいりました。

演奏の合間にメンバーの自己紹介。

「こんばんは。Momokoです。きょうはタンタンという、この大きな太鼓を担当しています。
ふだんはギターを弾いていろんな歌を歌っています。」

ここで止めときゃいいものを、ついつい口が滑ってしまいまして・・・

「弾き語りしているときは、間違えようが止まろうが、その場を何とか愉快に乗り切る自信があるんですけどね。
実はあさって、ギター独奏のイベントに参加するんです。ギター独奏の時だけは、緊張で頭が真っ白になるんです。ああ、考えただけでもドキドキします。」

すると客席から一声。

「じゃあ、あさってのリハーサル、いってみよー!」

ええ?? 
今、ここで、弾くの~~?

あれよ、あれよという間にギターを抱えて座らせられちゃいました。

急速に高まる緊張感。でもせっかくの練習の機会。皆さんにお付き合いいただこう。

「では、練習させていただきます。
曲は、"きらきら星"です。」

右手はこわばる。
左手は引きつる。
呼吸は乱れる。
ひざは震える。
ひざの上のギターもカタカタ震えてる~~~

そんな状態で、エイヤ!と弾き始めました・・・

♪ド ド ソ ソ ラ ラ ソー

やっとこさ、ここまでたどり着いたところで、客席からの一声。

「それ、ABCの歌じゃないの~?」

このひと言に、かろうじてかき集めた度胸も勇気も崩れ去ってしまいました。

そうなんです。
わたしが、エッチラオッチラ、しかも震えながら爪弾く

♪ド ド ソ ソ ラ ラ ソー

は、英語を覚えたての子供が歌う舌ッ足らずのABCの歌そのまんま・・・

でもね。

でもね。

この曲を弾くときのわたしは、モーツァルトを弾いている気分なのです。
かわいらしく、優雅で、透明なモーツァルトの曲を弾いているつもりなのです。クラシックの名曲を演奏しているという自負があるのです。

ABCの歌じゃないんだもん・・・・

とても悲しく、とても切なく、とても悔しく、そしてヤケになって、

♪エービーシーデーイーエフージー!

と歌い始めてしまう自分がまた哀しい・・・

いつの日か、震えないでギターの曲が弾ける日が来たら、その時には誰の耳にも「きらきら星」に聞こえるギター独奏をしてみたいものだ。

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2006.05.30

左手で弾く

ギター教室のレッスンで、久しぶりに「禁じられた遊び」を先生に聞いてもらった。


「では、聞かせてください」

1弦の7フレットに小指を当てて弾き始める。

「ちょっと待って」と先生。

え?

まだ1小節も弾いていないのに・・・

「左手と右手は同時に弾いてください」

え? 同時?

「先に弦を押さえておいてから右手で弦をはじくのではなくて、右手が弦をはじくタイミングで7フレットを押さえてください」

はあ・・・

わたしはさぞかし納得のいかない顔をしていたのだろう。先生の説明は続く。

「ギターは、左手で弦を押さえるだけでも音が出ますよね。ということは、左手の役割は、ただ単に音の高低をつけているだけじゃないということです。音色にも貢献しているということです。

最初から弦を押さえておいて、後から右手で弦をはじくと、右手の音色しか出てきません。左手で弦を押さえるのと右手で弦をはじくのを同時にすると、両手で音を出すことになります。ためしにやってみてください」

やってみた。
左手の小指が1弦に命中しないのではないかとおっかなびっくりになってしまう。

「指は弦にギリギリまで近づけておけば、押さえそこねる心配はありません。」

そりゃ、理屈はそうだけれど、緊張で息が詰まりそう。

何度か失敗した後に、ようやく左右の指で同時に音が出せた。その音は・・・

始まりの音だ、と思った。

小さな音でうたい始める曲の出だしだけれど、ストーリーの始まりをきっぱりと告げる音。弱いけれど、弱々しくない音。そんな「始まりの音」になると思った。

それにしても緊張で息が詰まってしまう。家に帰って何度も練習してみたところ、「息を詰める」のではなく、深く息を吸って吐き出すタイミングで、左手の小指と右手の小指を同時に弾くとうまくいくことに気がついた。

何度も何度も、確かめるように弾いてみた「禁じられた遊び」の語り始め。

もう何年も弾いているのに満足に弾けないこの小さな練習曲。それでも、また一つ、自分が聞きたい音を出せるようになったことが嬉しくて、ぽつりぽつりと弾き続ける。ギターの音に耳をすませて弾き続ける。

左手と右手でうたう「禁じられた遊び。


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2006.05.16

5曲目はテイック・ファイヴ?

Momokoにジャズは似合わない。

先月、歌いに行ったお店の入り口の黒板に「Momoko(JAZZ)」と書いてあるのを見たとき、つくづくそう思った。

似合わないなあ。
Momokoとジャズ。

でも、実はわたしは隠れジャズファンなのです。

隠れジャズファン?
より実態に近づけて表現するならば、「なんちゃってジャズファン」とでも言いましょうか。

ジャズのCDは2枚しか持っていない"なんちゃってジャズファン"。
ジャズのライブに行けば、どこで拍手すればいいんだろう?と落ち着かない「なんちゃてジャズファン」。
ジャズの名曲のタイトルを10個ぐらいしか知らない"なんちゃってジャズファン"。

そんな"なんちゃってジャズファン"のわたしが、演奏者の名前と曲名をセットで言えるジャズの曲がただ一つだけある。

デイヴ・ブルーベック・クァルテットの"テイク・ファイヴ"

***

20歳のころだったろうか。
ある日、仕事から帰ってきた6歳年上の姉がわたしにこう話しかけた。

「ジャズのことが手っ取り早くわかる本、何か知らない?」

いったい何事かと思って聞いてみると・・・

ファッション関係の仕事をしていた姉は、仕事上の付き合いで食事やお酒の席に出ることが時々あるらしく、そんな場でなぜか、ジャズ談義が交わされるらしい。家に帰ればわたしといっしょに歌番組を見て鼻歌を歌っている姉である。ジャズのうん蓄はちんぷんかんぷんだったに違いない。

「せめて、相づちぐらい挟めないと間がもたないのよねえ」

残念ながら、相談された妹もジャズの知識など持ち合わせていなかった。ただ、本を読んだところで音楽はわからないんじゃないの?と思ったわたしは、レコード屋さんに出かけて行って「魅惑のジャズ名曲集」(正確なタイトルは忘れてしまったけれど)みたいなミュージックテープを買ってきて、「有名曲が一通り入っているみたいだよ」と言って姉に渡しました。

結局、姉がそのテープをほとんど聞かないうちに、姉の周囲のジャズブームは去っていったらしい。

せっかく買ってきたのだからと、姉が放り出したそのテープを聴いてみた。そして、何曲目かに聞こえてきたのは・・・

何が始まるんだろう?と耳をそばだてたくなるドラム。
大真面目なのだか遊んでいるのだかわからない、トツトツとしたピアノ。
そして、そのドラムとピアノに乗って、美しく、軽々と歌うサックス。

遊んでいるようにも聞こえる。
でも、あまりにも律儀なピアノは、もしかしたら真剣に弾いてるのかな?と思わなくもない。

次はどうなるの? 
それからどうなるの? 
うんうん、それから?

終始トツトツと鳴っているピアノ。
いつの間にかわたしの体の中でも同じリズムが鳴り出した。いつの間にか、わたしは彼らといっしょに体を揺らして、歌っていた・・・・

何度も何度も巻き戻しては聞いた。
何度聞いてもドキドキする。

それで? それから?
と彼らを促したくなる。
うんうん、そして?
と先を聞きたくなる。
体が不思議に揺れてくる。

今でも頭の中であのテープで聞いたとおりの音を再生することができる。記憶に刷り込まれるほどに聞き込んだ唯一のジャズの曲。

出イヴ・ブルーベック・クァルテットの
テイク・ファイヴ

***

テイク・ファイヴ。
最初、それが5拍子の曲だとは気がつかなかった。そんなヘンテコリンな拍子には聞こえなかった。あまりにも軽々と自然で、気負いのない演奏だった。

テイク・ファイヴ。
それが「五拍子」という意味だと知ったのはだいぶ後のこと。

テイク・ヴァイヴ。
それが「5分間休憩しよう」という英語の口語表現で、実際にこの曲の演奏時間が5分ちょっとだというのは、ついさっき知ったこと。

デイヴ・ブルーベックのテイク・ファイヴ。
ミュージシャンの名前と曲名をセットで言える唯一のジャズの曲。

しかし。

この文章を書くにあたって演奏者を確認してみて、自分のトンチンカンさ加減に笑ってしまった。

わたしは、きょうのきょうまで、デイヴ・ブルーベックはサックス奏者だと思っていた! デイヴ・ブルーベックとは、あの、トツトツとしたピアノを最初から最後まで刻み続けていた人だったのですねえ。

やっぱりわたしは"なんちゃってジャズファン"みたいです。

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その"テイク・ファイヴ"をライブで聴ける日がやってくる。

 ウォルフィー佐野&山口孝弘ジャズライブ
 七弦ギターをメインにいくつかの楽器を使って、最大限に曲を表現するウォルフィーさんと、切れ味のいい、生き生きとしたギターを聞かせてくれる山口さんとのデュオ。
 毎回、3曲目は三拍子というお約束になっているらしい二人のライブで、今回取り上げるらしいテイク・ファイヴ。何曲目に聴けるのだろう?
 思い出の曲との新しい出会いが心待ちなライブです。

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ウォルフィー佐野&山口孝弘ジャズライブ
5月18日(木) 19:30~
国分寺 クラスタ
チャージ:1500円

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