2017.08.29

あのころ、今も、思い出す・・・

70年代。
テレビに流れた「愛のスカイライン」のCM。
森の中の一本道を走り抜ける車に
胸ときめかせた10代の弱視の私。
ドライブなんて、私には一生かなわぬ夢と、
ただ見つめていた「愛のスカイライン」・・・

8月最後の日曜の夜、
国立はっぽんの音星ナイトにて
Tedさんのオリジナル曲、「錆びたガードレール」を唄いながら
10代のころに見たテレビCMが瞼に浮かんだ。
弱視の私と車の世界を繋ぐ、ひとすじの「愛のスカイライン」・・・

3年前の夏、車にはとんと縁のない私が、
この曲を一度聞いたとたんに
惚れ込んでしまったのはなぜ?

それは、この歌に込められた青春の日々のリアリティー。

実際、あちらこちらで歌わせていただくたびに、
「情景が目に浮かびました」という感想をいただく。

10代、20代を生きた日々に
目で、耳で、肌で感じた
同世代の若者達が抱く車へのロマン、情熱、憧れ。

もっと速く、もっとカッコよく、もっと遠くへ・・・
それぞれのスタイルで車に熱を上げる若者達。
ひたすらに走り抜けたあとは、
夜更けのデニーズで語り明かす・・・

走り方は人それぞれだったろう。
皆が皆、ドリフトに明け暮れたわけではないだろうけれど、
聞いてくださる方々は、それぞれに
「あのころ、今も、思い出す・・・」

昨日読んだ新聞のコラム。

「夏のバカンスにはロングドライブ。できれば助手席には恋人を乗せて――中年世代が若い頃に抱いていたような夢は、今ではリアリティーを失いつつあるのかもしれない」
(2017年8月25日、読売新聞編集手帳)

今どきの若者は車にさほど関心がないのだと言う。
自動車教習所は生徒獲得にあの手この手で必死なのだとか。

彼らが熟年世代を迎える時に、
リアリティーを持って共感し合う「あの頃」。
どうやらそこには車やドライブは登場しないようだ。

70年代、80年代の青春を駆け抜けた私達が
「あの頃」をリアリティーを持って胸中に蘇らせる、
そんな時間旅行を体験させてくれる歌、
それが、「錆びたガードレール」。


錆びたガードレール(2017年5月21日 音星ナイト@国立はっぽん)

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2017.08.17

夏が来ると思い出す~「夏祭り」

8月の3回目の木曜日。
久しぶりにうっすらと日がさしてきたので、
久しぶりに十条はミュージカンテAMANEさんの
朝の歌会に行ってみた。

今日もまた遅刻確信犯。
お店の前に来ると、虫の声が聞こえてきた・・・

♪あれマツムシが鳴いている
♪ちんちろちんちろちんちろりん
♪あれ鈴虫も鳴きだした
♪りんりん りんりん りぃんりん・・・

マダム達の素敵なコーラスに聞き入っていると
ピアノ伴奏中のあまねさんが
「どうぞ!」と声をかけてくださるので
中に入って、2番からご一緒させていただく。

お茶の時間のあとは、新曲の時間。
童謡唱歌や昭和歌謡だけではなく
いまどきの歌も取り上げる朝の歌会。
今日のお題は何だろう?
配られた譜面はこちら。

0817b

ジッタリン・ジンの「夏祭り」?
知らないなあ・・・

弱視の私は、右手にルーペ、左手にプリントを持って
譜面の解読にとりかかる。

ありゃりゃ~♭が4個もある!
一瞬、ビビる。

0817a

そうだ。こんな時こそ、
中学3年生の時の音楽の授業を役立てねば。

中3の一年間を教えていただいた音楽の先生は、
なかなか実用的な授業をしてくださった。

ドレミファソラシドという音階と、
ハ長調やイ短調という言い方しか知らなかった私は、
この先生の授業で、C、D、E、F、G、A、Bという音名と
ごく簡単なコードネームを初めて知った。

#や♭がたくさん付いている楽譜も恐れることはないと
教えてくれたのもこの先生。

「楽譜の左端の調号を表わす#や♭に注目。
 #や♭が何個付いていようとも、
 #なら、いちばん右の#の音が、音階の“シ”。
 ♭なら、いちばん右端のフラットが、音階の“ファ”。」

ピアノを習っているくせに、
#や♭が三つ以上の楽譜が苦手だった私は、
中学校の音楽の先生のこの説明に、目からうろこ!だった。

40年以上前の音楽の授業の教えを引っ張り出して、
「夏祭り」の譜面を見ると、♭が四つ。
右端のフラットは“レ”に付いている。
ということは、“レ♭”が音階の“ファ”に相当する。

ファ→ミ→レ→ド 
という音階を当てはめると、
レ→ド→シ→ラ
なるほど、この曲は“ラ♭”から始まる変イ長調。

と、わかってしまうと、

「きーみーのー いた なーつーはー 
 とおいー ゆーめーのなかー」

という出だしのメロディを頭に浮かべることができた。
浮かべてみると・・・

あれ? この歌、知ってる。聞いたことがある。
ジッタリンン・ジンなんていうミュージシャンは知らないのに
なんでこの歌を私は知っているんだろう?

「太鼓の達人というームに使われているからでしょう」

と、あまねさんが解説してくださった。
けれど・・・「太鼓の達人」なんていうゲームは
見たことも聞いたこともない。
いまどきの曲には疎い私がなんでこの歌を知ってるのか?

帰宅後、ネットで検索して納得した。
「夏祭り」は、JITTERIN'JINNの1990年のヒット曲。
10年後にはWhiteberryというバンドがカバーして再びヒット。
紅白歌合戦にも出たそうな。
つまり、オリジナルは27年前、
そして17年前に再び流行った曲。
テレビやラジオ、そして街中でも、耳にしていたに違いない。

なーんだ、いまどきの曲じゃなかったのか(笑)

譜面の歌詞をたどってみると、
女の子と二人で歩く男の子のドキドキ感を
夏祭りの情緒を織り込みながら歌う、
なかなかいい曲だ。

それにしても、
おもわず「虫の声」を唄いたくなるような今日このごろ。
マダム達の素敵なコーラスと、
あまねさんの小気味いいピアノの「夏祭り」で
しばしお祭り気分♪の
8月半ばの朝の歌会ではありました。


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2017.07.30

大人の時間初体験

「旅行のお土産をお渡ししたいんですけど」
音楽友達のウォルフィーさんからメールが届いた。

お土産をいただけるのはもちろん嬉しいけれど、
ウォルフィーさんが、お土産を渡すためだけに
わざわざ出かけてくるはずがない。
木曜の午後7時、
待ち合わせの場所に行ってみると・・・

やっぱり・・・

巨大リュックを背負ったウォルフィーさん登場。
リュックの中身は「新楽器」に違いない。
さて、どこで見せていただこうかしらん・・・?

「Momokoさんがいつかお話してくれた
 十条にある、ピアノがあるお店に行きましょうよ」

ということで、十条はミュージカンテAMANEさんに
夜のバー営業のお客として初めて伺うことに。

気まぐれ参加させていただいている朝の歌会で
すっかりお馴染みのAMANEさんだが、
夜のバータイムは初体験。
そもそも“バー”などというお店には縁がない。

何て言って、お店に入ればいいんだろう・・・?
「こんばんは」でいいのかな・・・

などという心配は無用だった。
AMANEさんの前に立つと、
内側からすーっとドアが開いて
「こんばんは!」と、マスターが迎えてくださる。

そして、お店に入ってみると、
あれ? あれれれれ?
朝の歌会でお馴染みのマダムがいらっしゃる。
しかも、あとから一人、また一人、とマダム登場。
お喋りに花咲かせつつ、順番にマイクを持って
カラオケで歌ってらっしゃる。

0731a

私達も、さっそくカラオケの順番に入れていただく。
全盲のウォルフィーさんは、巨大リュックから
自分で作った点字の歌詞カードのファイルを取りだすと、
さっそく美声のお披露目。

一曲歌い終ると、
巨大リュックから次々楽器を取りだすウォルフィーさん。
小さな太鼓、缶カラ三線・・・そして・・・
最後に、おもむろに取りだしたのは・・・

12弦ギター!
なるほど、これが今宵の「新楽器」。

ぜひ1曲、ということで
“ムーン・リバー”を弾き語り。

0730b
(あまねさん撮影)

自分が奏でたい音が出せる楽器を求めて、
7弦ギター、8弦ギター、10弦ギターと
特別仕様のギターを次々と手に入れては
弾きこなしてきたウォルフィーさんが
遂に手に入れた「新楽器」の12弦ギターの音色に
横で耳をすませる私も感激ひとしお。

大きな荷物を背負ったウォルフィーさんと
猫柄バッグを背負ったMomokoさんご来店記を
ブログに綴ってくださったマスターは、
巨大リュックから次々楽器を出しては操り、
それをまた要領よくリュックに収納する
全盲のウォルフィーさんの手際のよさに、
しきりに感心してらっしゃる。

一方、“バータイム”のお客初体験の私は、
マスターのフル稼働仕様に感嘆。
お客がお手洗いに行くとみれば、ドアを開け、
そのお客が戻られればドアを開け、
カラオケ予約の操作に手間取っていれば助け舟を出し、
ギターを弾くウォルフィーさんの前には
マイクスタンドをセットし、
カウンター席のやてふさんと
二日後のライブイベントの打ち合わせをし、
その間にドリンクを出したり、片付けたり、
お客同士の交流の流れに潤滑油を差すことも忘れない。
そして、請われれば、お客の歌のピアノ伴奏をこなす。

弱視の私の目には見えないけれど、
マスターには目が四つ、耳が四つ、手足が4本ずつ
備わっているに違いない!と確信した、
大人の時間初体験@ミュージカンテAMANEの夜でした。

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2017.07.07

白菊賛歌~「庭の千草」をひも解いてみた

7月最初の木曜の朝。
十条のミュージカンテAMANEさんの朝の歌会へ。
毎度のことながら、お茶の時間からの参加。
お茶菓子とお紅茶をいただきながら、
マダム達とお喋りをしているうちに後半が始まる。

今日は参加者が希望曲を歌える「リクエストの日」。
「琵琶湖周航の歌」「小さな日記」「夜明けの歌」「翼をください」「浜辺の歌」・・・

リクエスト曲を次々歌って何曲目だったか、
「庭の千草」という曲名が告げられた。

庭の千草・・・だいぶ古い唱歌だよねえ・・・
もとはアメリカかイギリスの歌だったような・・・

などと思いながらiPadで歌詞を検索して
マダム達と一緒に歌い始める。

「庭の千草」というタイトルの歌だが、
曲の山場で繰り返されるのは、

「ああ、白菊、ああ、白菊」

まるで「白菊賛歌」みたいな歌詞と
賛歌というにはどこか哀調を帯びたメロディ。
何となく腑に落ちない歌ではある。
この歌は、いったい何を歌っているのだろう?
家に帰ると、さっそく、「庭の千草」の謎解きに取り掛かった。

「庭の千草」の原曲は、アイルランドの詩人、トーマス・ムーアの詩、“The Last Rose of Summer”を、アイルランド民謡のメロディにのせて歌ったのが始まりだった。

その原詩、The Last Rose of Summer
要約すると、このような内容らしい。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪

命を終えようとする赤い薔薇の花よ
美しい日々を共にしたお前の親しい者達は
夏が終わろうとする今、
一つとして残ってはいない。
最後に残されたお前を
ひとり朽ち果てさせることはしまい。
赤い花の色あせる前に、
親しい者達が眠る土の上に置いてあげよう。
私もまもなくお前のそばに行くだろう。
喜びを分かち合う者のいないこの世に
どうして一人残って生きていけようか。
(momoko抄訳)

♪ ♪ ♪ ♪ ♪

愛する家族や親しい友たちが次々にこの世を去り、
ひとり残された晩年の我が身の孤独をうたう詩。

文語調のムーアの詩は日本人には少々わかりづらいが、
英語圏の人々にはストレートに伝わるに違いない。
実際、英語で歌われるThe Last Rose of Summerには哀しさが込められている。

では、「庭の千草」という日本語版は、なぜ「白菊賛歌」になったのか?

まずは、歌詞をじっくり読んでみる。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪

庭の千草


庭(には)の千草(ちぐさ)も。むしのねも。
かれてさびしく。なりにけり。
あゝしらぎく。嗚呼(あゝ)白菊(しらぎく)。
ひとりおくれて。さきにけり。


露(つゆ)にたわむや。菊(きく)の花。
しもにおごるや。きくの花。
あゝあはれ。あゝ白菊。
人のみさをも。かくてこそ。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪

何度読んでも腑に落ちない。
なぜそれほどまでに白菊を讃えるのか?

自力での謎解きをあきらめて、検索してみると、
「庭の千草」の秘密』というブログ記事にたどり着く。
古典文学研究が趣味だという筆者が
いくつもの和歌を引いて詳細に論じる「庭の千草論」。
5700字余りの論文をゆっくり、じっくり読み進むうちに、
「白菊賛歌」の謎が解けていく・・・

「庭の千草」の日本語の歌詞を書いた里見義は、
薔薇の花を、日本人になじみ深い白菊に置き換えて、
人生の晩年の孤独を描いてみせる。

晩秋を迎えた今、
庭を彩っていた草花も虫達も、皆、去ってしまった。
最後まで庭に残って、
冷たい露に耐え、霜ふる初冬の朝も頭をもたげ、
咲き続ける白菊よ。

たしかに原詩の薔薇の哀しさを白菊に託して歌っている。
けれど、日本語の詩を繰り返し読んでみると、
原詩との違いに気が付く。

The Last Rose of Summerでは

  喜びを分かち合う者のいないこの世に
  どうして一人残って生きていけようか。

と、孤独を嘆いて終わるのに対し、「庭の千草」は、

露の重さに身を曲げても
降り積もる霜にも身を起こす
白菊よ、胸に迫るその姿よ
人を愛するとはこういうことなのだ。
(Momoko訳)

命ある限り、胸を張って生き続ける白菊の美しさをたたえる、
まさに「白菊賛歌」なのだった。

「庭の千草」の謎解きがひと段落したところで、
AMANE さんの朝の歌会でご一緒させていただくマダム達の笑顔を思い出す。

「私は火曜日に来てるのよ」
「私は火曜日と木曜日」
「私なんか、AMANEさんに通ってもう10年よ!」
「ピアノで歌えるのがいいのよねえ」
「周さんのお喋りもね」

お二人の「新人さん」もご一緒に
朝の歌会後の定番、500円ランチを頂きながら、
お喋りが弾むマダム達。
毎回、お馴染みの顔ぶれで笑いあい、
いつもの顔が見えないとそっと胸をいためつつ、
歌会に通い続けるマダム達の笑顔に
庭の千草の華やかさと、
一人ひとり凛と咲く白菊の美しさを見る思いだった。

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2017.05.26

野ばらのパズル

5月最後の木曜日。
十条のミュージカンテAMANEへ。

今日は「リクエストの日」。
出るわ、出るわ、時代もジャンルも超えたリクエスト!

・遥かな友に(ボニー・ジャックス)
・野バラ(ドイツ歌曲)
・ローレライ(ドイツ歌曲)
・五番街のマリーへ(ペドロ&カプリシャス)
・荒城の月(日本歌曲)
・時代(中島みゆき)
・いのちの歌(茉奈 佳奈)
・白いブランコ(ビリー・バンバン)
・津軽の花(原田悠里)
・埴生の宿(イングランド民謡)
・おお、牧場はみどり(チェコスロバキア民謡)

知っている曲も、お初の曲も、
見事に伴奏してしまうアマネさんのピアノ伴奏にのって、
みなさん、張り切って歌う、うたう。

ドイツ歌曲の「野ばら」を歌い終わった時だった。
ひとりのマダムがふとふと呟いた。

「この歌、詞が先にできたんでしたっけ?」

わらべは見たり、野なかの薔薇・・・♪

という日本語の歌詞でお馴染みの「野ばら」。
シューベルト作曲と、ウェルナー作曲と、
二つのバージョンがよく知られている。
今日歌ったのはゆったりとしたウェルナー版。

元のドイツ語の歌詞は、たしか、ゲーテの詩だったはず。
「詞が先ですね」とアマネさんもおっしゃる。

「そうですよねえ・・・でも・・・」
まだ腑に落ちないご様子のマダム。

何がそんなに不思議なんだろう?
歌会から歩いて帰るみちみち、考えてみて、気がついた。

ドイツ語の「野ばら」は、ゲーテの詩が先で、
後からシューベルトとウェルナーがそれぞれ曲をつけた。

けれども、日本語の「野ばら」は、
シューベルトとウェルナーの曲が先にあった。
日本語版は「曲が先」だったというわけだ。

わらべ)は見たり 野なかのばら
清らに咲ける その色愛(め)でつ
飽かずながむ
紅(くれない)におう 野なかのばら

シューベルト版と、ウェルナー版と
全然違う曲想の二つの曲を、
まったく同じ日本語の歌詞で歌ってみたら
一つの日本語歌詞が、どちらの曲にもぴったりはまる。

奇跡のパズルのような現象ではないか?
訳詞とはいえ、ドイツ語と日本語とでは音韻がまったく違う。
二つの「野ばら」に一つの訳詞がそんなに都合よく当てはまるものだろうか?

「野ばら」の訳詞は近藤朔風。
調べてみると、近藤朔風が訳した歌曲は数多い。
今日の歌会で歌った「ローレライ」もその一つ。

近藤朔風は、東京音楽学校で学び、
数々の外国歌曲の訳詞を手掛けたのだそうだ。

もしかしたら・・・

最初からそのように意図して
創られた訳詞なのではないか?

ゲーテの詩に数々の作曲家が曲をつけた「野ばら」。
その中でもシューベルトとウェルナーの二つの歌曲が
ヨーロッパで高く評価されていることを
近藤朔風は知っていたに違いない。
そして、二つの曲のどちらで歌っても
美しく響く日本語の訳詞を創りだしたのではないか?

二つの「野ばら」に一つの訳詞。
この奇跡のパズルを解いたのは
近藤朔風という訳詞者だったに違いない。

それにしても・・・

「詞が先でしたっけ・・・?」
歌会のマダムの鋭い問題提起に
あらためて感心させられる。

そんな歌会からの帰り道。
「野ばら」の訳詞の謎解きに没頭するあまり、
うっかり道を間違えて、北区と豊島区の狭間のラビリンスから抜け出せず、
夕焼け小焼けが聞こえるころに、ようやく家にたどり着いたのでした。

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2017.04.29

独唱会の夜

4月最後の水曜の夜、10時過ぎ。
ミュージカンテAMANEさんの春の「独唱会」からの帰り道、
今宵、歌を披露されたマダム達のお一人と
十条駅へ向かって歩き出す。

「素敵な歌でしたねえ!」
「そーお?」
「ほんとうに。歌手の真似じゃなくて、自分の歌になってたじゃないですか!」
「あの歌ね、私に歌えるかしらと思ったのよ、最初は」
「曲はアマネさんと相談して決められたんですよね?」
「そう。どんなふうに歌うかも、アマネさんにアドバイスをもらいながら。難しかったわあ!」

控えめなマダムのことばの奥から、
「課題曲」を歌いきった達成感が伝わってくる。

今度は何を歌おうか、と考えるところから始まる独唱会。
カラオケではなく、ピアノ伴奏で歌う独唱会では、
歌い手の感性、個性がクローズアップされる。
客席で聞く側にとっても、
そこが独唱会のいちばんの楽しみ。

7名のマダムが一人2曲ずつ、14通りの歌がたり。
言葉とメロディとリズムと呼吸。
ひとりひとりが「自分の歌」をうたいあげる。

寿々さんも・・・

アマネさんのピアノ伴奏で歌われた
「サヨナラを言うために」の録音を聞きながら、思い出す。

木曜日の朝の歌会に気まぐれに参加させていただく私に、
いつも気さくに声をかけてくださった。

晩秋の季節外れの雪の木曜日、
歌会後の500円モーニングのテーブルでの、
笑いながらのひと言。

「この雪じゃあ、誰も来ないかもしれないと思って来てみたら、 みんな同じことを考えてるのよねえ!」

毎週の朝の歌会も、
春と秋の独唱会も、
お喋りしながら、笑いながら、
でも、歌う時は真剣に。

十条のマダム達の心意気に
また惚れ込んでしまった独唱会の夜だった。

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2017.03.27

ウナ・セラ・ディ東京

時々気まぐれに参加している
ミュージカンテAMANEさんの朝の歌会「さわうた」。
先週の木曜日は、参加者が1曲ずつ希望を出せる「リクエストの日」。

桜の開花宣言の直後とあって、
「春の小川」「さくら」「花影」など
季節にちなんだリクエストが続く中で飛び出したのが
「ウナ・セラ・ディ東京」という渋いリクエスト。

ザ・ピーナッツのヒット曲。

 ウナ・セラ・ディ・東京、ん~~~

しっとりと歌い終ったところで、
一人のマダムがピアノの前のアマネさんに話しかけた。
新旧の歌の数々をよく御存じのマダムである。

「ウナ・セラ・ディってどういう意味でしたっけ?」

え? ウナ・セラ・ディに意味があるの?
私は少々面食らった。
この歌が流行ったころ、私は小さい子どもで、
ピーナッツがテレビで歌うこの歌詞は、
「ウナセラディトーキョー」という呪文だと思っていた。

博識のマダムは続ける。

「黄昏という意味だったと思うのですけれど・・・」

ここで、ようやく気がついた。
“ウナ・セラ・ディ”はラテン系の言葉で、
Una sera diと書くはずだ、と。

Unaは「一つの」
Diは「~の」
Seraは・・・夜?

いや、ラテン系の言葉で、
夜はNoite(ポルトガル語)、noche(スペイン語)、nuit(フランス語)。
イタリア語はたしか・・・notteだ。

Sera・・・sera・・・sera・・・といえば・・・

そうだ、セレナータ。
恋人の眠る部屋の窓の下で歌う愛の調べ、セレナータ。
そのセレナータの「セレ」が
「夜」を意味するもう一つの言葉に通じるのか・・・?

つたない推測はここまで。
セレナーデの語源をipadの英語の辞書で調べてみた。

「serenade《語源》:イタリア語「晴朗な (SERENE)」の意; 後にイタリア語 sera (夜)の連想が加わった」
(新英和中辞典)

やっぱり、そうだ。
イタリア語のseraは「夜」と言う意味なんだ。
さらに調べると、seraは、英語のeveningに相当する、
「夕方」「宵」を意味するイタリア語らしい。

イタリア語の「こんばんは」の挨拶は
Buena sera!

これを
Buona notte!
と言ってしまうと、英語のGood night、「おやすみなさい」になってしまう

つまり、ウナ・セラ・ディ東京とは
Una sera di Tokyo
「東京のある夕方」という意味で、

「黄昏でしたっけ?」

というマダムの記憶は大正解。
彼女の博識に感心してしまった
木曜の朝の歌会のひとこまではあった。

~~~~~~~~~~

ピーナッツのヒットのきっかけになったという、
イタリア人歌手ミルバが歌うUna Sera Di Tikyo


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2017.03.17

夜更けのラジオから

夜更けの枕元のラジオから女性ボーカルが聞こえてきた。

  夕暮れ抱き合う舗道 みんなが見ている前で
  あなたの方にチョコンと おでこをつけて泣いたの

かわいい降り付けで歌うミニスカートのアイドル。
昭和の歌謡番組にはこんな歌がよく出てきたっけ。

  ダーリン、ダーリン、ダーリンMy love
  意味深 I love you

「意味深」という歌詞とは裏腹に
お気軽でキャッチ―な歌詞ではあるが、
ラジオから聞こえてくる彼女は
この絵に描いたようなアイドル曲を
音程もリズムもノリも完璧に歌いこなす。
その見事な歌唱力に、
枕元のラジオに思わず本気で聞き入る。

これ、誰だっけ?
何て言う曲だっけ・・・

  艶姿(あですがた)ナミダ娘 色っぽいね
  まつ毛もぬれて 色っぽいね


キョンキョンだ!

ここに来てようやく気づく、
アイドルにとんと関心がなかった私。

このいかにもアイドルっぽいキメのフレーズ直後

 なぜなの涙がとまらない あなたを見ているだけ

と、憂いを含んだフレーズを一瞬聞かせて
キメのフレーズにさっと戻る。
その小気味よい展開、歌いこなし。

さすが、キョンキョン。
ただのカワイコちゃんアイドルじゃあない。
実力派のボーカリストだったのだと
今さらながらに感心してしまうのは、
くまちゃんの新作、「恋はインフル」で
アイドルごっこをさせてもらったからか。

深夜のラジオは続く。
しばらくして流れてきた男性ボーカル。


  
  もう涙はいらない 僕がそばにいるから
  こんなに愛しているから
  それですべてを失くすとしても
  構わない 君を守りたい

甘ったるい歌詞を聞き流す私の耳は
次のフレーズで釘付けになった。

  助手席のシート 外を見つめて
  いつからか僕を遠ざける
  何がほんとの幸せなのか
  もうふたりで決めよう 迷わないで

甘ったるいラブソングになりがちな
車に並んで乗る彼と彼女の間の
微妙な距離感、緊張感を見事に描く。
車に乗る生活をしているからこそ描けるドラマを
切なく、それでいて硬派に男っぽく歌う
鈴木雅之という歌手。
どこかで聞いたことがある声だと思ったら
「め組のひと」を歌ったラッツ・アンド・スターズの人だった。
  
  ここでいいからと 小さな背中
  真昼の雑踏 溶けてゆく
  生きてゆくこと 平凡じゃない
  力強く静かに歩く君は・・・

車に乗せてもらうのが特別なおもてなしである私は、
「ここでいいから」と真昼の雑踏に「溶けてゆく」
彼女の背中が、ただただ眩しい。

たかが流行歌。
けれど、その数分間に
これだけのリアリティを込められるのか。
夜更けの枕元のラジオを聞きながら、
大きくため息をついたのだった。

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2017.03.12

真っ赤なトレノの二人

Tedさん、Ray♪さん、Momokoの三人で
スーパースリー・ライブを始めて2年になる。
ふだんはそれぞれの路線で音楽をしている3人だから、
3人そろってのライブは年に数回なのだけれど、
3月は珍しく、二度の出番が巡ってきた。

二週続けてのライブを終えて、
スーパースリーのサウンドになったな、と感じた曲、
それは、Tedさんの名曲「錆びたガードレール」。

2年前の夏、出来立てほやほやのこの曲を一度聞いて
惚れ込んでしまった私は、
Tedさんのピアノで、何度も歌わせていただいた。

その時の私は、
川沿いの左カーブを飛び出して泣いてた
あなたの横顔を、
埋立地の交差点でいつも派手にドリフトを決めていた
あなたの横顔見つめる、助手席の「わたし」。

けれど、3人で演奏する時の私は
いったい誰?

3月の二度の出番で、
その答えがようやく見えてきた。

私の役どころは、たぶん、ナレーター。
車で走り抜けた青春物語を、
あの頃の情景を、
情感を込めて描く語り手。

そして、曲のクライマックス。
真っ赤なトレノに乗る二人が全面に登場する。

0312_3

運転席のTedさんと、助手席のRay♪さん。
車の中でも、ステージの上でも並んで座る二人が歌う。

 あなたといつも一緒
 夜通し走り続けた
 あの頃 今も思い出す・・・

 自慢の真っ赤なトレノ
 川沿いの左カーブ
 飛び出して泣いてたあなたの横顔

パワー全開で歌い上げる二人のコーラスは、
真っ赤なトレノのスピード感を彷彿とさせる。

では、ナレーターの私はどこにいるんだろう?

 窮屈なリアシート
 全然平気だった
 
リアシートに乗せてもらった仲間の一人?

いや、そうではない。
私は、幕張の埋め立て地で「やんちゃをする」若者達の
思い出を語るストーリーテラー。

ぐんぐんとパワーを増す二人のコーラス。
横で聞いていてドキドキするほどに爽快なスピード感。

そして、曲の最後。

 いつも派手にドリフト
 決めてた自慢げなあなたの横顔・・・

ここで、語り手の私は二人にそっと近づいて、
車で走り抜けた青春の物語を締めくくる。

二週続けてこの歌をうたってみて、
3人で歌う「錆びたガードレール」の舞台の仕掛けが
ようやく見えたきたなあ、と
HOTコロッケのステージで密かに感激したのでした。

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2017.03.08

心ある楽器屋さん

先週末のスーパースリーの出番@立川農家。
リハーサルを始めようとギターをアンプに繋いだら・・・

音が出ない!
どうしよう!

共演のソラトクモの九一さんが
マイクをささっとギターの前にセットしてくださって、
この夜の二つのギター曲はマイクで音を拾うことに。
エレガットしか弾けない私が、ライブ本番で、
それも、ソロではなく、キーボードとの共演で
マイクに向かってギターを弾けるかしら・・・
ギターの音、ちゃんと聞こえるかしら・・・
不安を抱えながら迎えた出番。
思ったよりはちゃんと音が出ていたようでひと安心。

それにしても、マイ・エレガットはどうしちゃったんだろう?
ギター弾きの友人に見てもらったら、
電池を繋ぐ線が切れていると教えてくれた。

もう18年も使っているものね。
線も切れるというものだ。
修理に出さなきゃ・・・
でも、どこに・・・?

買って2年目に、電車の床に落として
ボディに大きなヒビが入った時は、
宅急便で岐阜のヤイリギターに送って修理してもらった。
1か月以上かかったけれど、
弱視の私の目にはわからないほどの見事な仕上がり。
ありがたかった。

10年前、ナットが外れて、どこかに消えてしまった時は、
近所のクラシックギター屋さんに持っていって、
新しいナットを付けてもらった。

今度は配線が切れたエレガット。どうしよう。
次のギターの出番は1週間後。
時間がない。

翌日の日曜日、線の切れたギターを背負って池袋へ。
まずは、いつも弦を買う、
パルコの7階のイシバシ楽器へ。

「電池を繋ぐ線が切れたんですけど
 修理をお願いできますか?」
「お見積りに2週間、修理に2週間ほどかかりますが?」
「え? そんなにかかるんですか?」
「はい、修理は工場に外注するものですから。
 お急ぎでしたら、お近くの工房に持っていかれた方が早いですよ」

エスカレーターで1階に降りて、しばし思案。
10年前にナットを交換してもらったお店は
クラシックギター専門店。
配線の修理をお願いできるかどうか・・・

そうだ。クロサワ楽器に行ってみよう。
あそこはエレキも、アコギも、クラシックギターも扱っていたはずだ。

昔は三越、今はヤマダ電機の横にあるクロサワ楽器へ。
店員のお兄さんに聞いてみる。

「電池をつなぐ線が切れたので
修理をお願いしたいのですが?」

ケースからギターを出して、お兄さんに見てもらう。

「配線が切れているだけなら、すぐ直るのですが、
 ただ今、リペア担当者が不在ですので、
 明日、こちらからご連絡させていただいてもよろしいでしょうか?」

つまり、このお店には修理担当の人がいて、
ここで修理をしてくれるらしい。
それなら楽器を預けていけば、
修理の人の手が空いたら
すぐになおしてもらえるだろう。

そして翌日の月曜日。
池袋での野暮用のついでにクロサワ楽器に寄ってみた。

「昨日、ギターを預けて行ったのですが・・・」
「昨日ですか・・・何か、お持ちですか・・・?」

応対してくれた店員さんは、
両手の指で空中に四角を描く。
そういえば、昨日ギターを預ける時、
預かり証のようなものをもらわなかった・・・

そこへ、「ああ、ギターの配線修理のお客様ですね?」と
声をかけてくれた昨日の店員のお兄さん。
「お客様、これをカウンターに置いたまま
帰られちゃったんで・・・」と、
“お客様控え”を渡してくれた(笑)

「リペア担当が拝見したところ、
配線の修理だけなら今日中に修理できるそうです。
料金は三千円+税になります」
「では、お願いします。」
「かしこまりました。修理ができましたら、ご連絡します」

そして、夕方。携帯が鳴る。
「クロサワ楽器池袋本店でございます。
 お預かりのギターの修理が完了いたしました。
 いつ、お引きとりにいらっしゃいますか?」
「では、明日のお昼頃に伺います」

火曜日のお昼過ぎ。
三度目のクロサワ楽器に行くと、
三度目に会うお兄さんが迎えてくれた。

「配線の修理だけで大丈夫だったようですが、
 ご確認をお願いします」

お兄さんがチューナーできちんとチューニングをして、
ギターをアンプに繋いで爪弾くと、
スピーカーからポロロンと音が響く。

「大丈夫ですね」とお兄さん。
「ありがとうございました。助かりました」

ケースに入れたギターを受け取ろうとすると

「背負っていかれますか?」
「あ、はい、はい」

ケースを背負わせてくれるお兄さんに、もう一度、
ありがとうございましたとお礼を言って店を出た。

18年間愛用のヤイリのエレガット。
手入れも扱いも雑な持ち主に
あっちこっちと引っ張りまわされるエレガット。
滅多に故障することはないけれど、
何かあるたびに、心ある修理の達人に出会うこと、
今回で三度目。

きっと、生命力の強いエレガットなのに違いない。

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アカペラ歌姫Momokoのトーク&ライブ

ギターを捨てたMomoko。
(ケースにしまってあるけど・・・)
青い月に照らされて立つMomoko。
夜の歌、女の唄をうたいます。。。

そう。この夜、Momokoはギターを弾きません。
マイクの前に立って、全身全霊で歌う
Momokoの「声」を聴いてくださいませ。

3月9日(木) 6:30open/7:30start
下北沢 Blue Moon
チャージ無料。お食事、おつまみ、お飲物などご注文ください。

出演
野川小麦(オルゴール、バイオリンなど弾き語り)
ウクレレ亭ロータ(ウクレレ弾き語り)
Momoko(アカペラ歌姫♪)

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