2008.05.10

七つの子

ブラジルの歌手、ヘナータ・ブラスがゲスト出演するというコンサートを聞きにいった。
配布されたプログラムを開くと、何曲目かに「ヘナータ・ブラスがサンパウロで知り合いの日系人に教えてもらった日本の歌を日本語でご披露します」と書いてある。

コンサート後半。「これからヘナートが日本の歌を歌います」という紹介のあと、ヘナート・ブラスはゆっくりとギターを弾いて歌い始めた。

 カーラース
 ナゼ ナクノー

客席からかすかな笑い声が漏れた。それは、ステージ上のちょっとしたアクシデントを笑うのに似た忍び笑いだったけれど、とにかく客席の日本人の何人かは笑った。

ヘナート・ブラスはゆっくりと歌い続ける。

 カーラース 
 ナゼ ナクノー
 カラスワ ヤーマーニー

なぜ笑うんだろう?

大の大人の彼が、日本の歌を歌いますといって歌ったのが子供の歌だったから?

それとも、歌い方かわいらしいから?

ポルトガル語を母語とするヘナートの日本語の発音はかなり上手だったけれど、出だしの「カーラース」の最初の「カ」は、日本語の「カ」よりもずっと口を横に開いた明るい響きの「カ」だったかもしれない。それがかわいらしく聞こえたから笑ったのか?

ヘナート・ブラスがこの歌に特別の愛着を持っていたかどうかはわからない。おそらくコンサートの主催者の要請にこたえて日本の歌をうたったのだろう。

けれど、日系人に教わったというのが本当の話だとすれば、この歌の歌詞の意味を少しは聞いていただろう。そして、「日本人なら誰もが知っている童謡で、とても懐かしい歌だ」というふうに聞かされたのではないだろうか。少なくとも、この歌を日本でうたって、客席から忍び笑いが聞こえるとは思いもよらなかったことに違いない。

なぜ笑うんだろう?

わたしは恥ずかしくなった。忍び笑いの客席が腹立たしかった。歌い終わったあとの、ブラジル通らしき観客のÓtimo!(すばらしい!)の歓声が疎ましかった。

なぜ笑うんだろう?

わたしはとても惨めになった。日本人は、いつから「七つの子」を素直になつかしいと感じなくなってしまったのだろう?
外国人が「七つの子」を歌ったときに、この歌の懐かしさを共有する心を、いつから失くしてしまったのだろう。日本人には日本の歌を愛でる感覚はもはやないのだろうか。

・・・・・

野口雨情作詞の「七つの子」の「七つ」とは何かという謎が取りざたされることがある。

七羽の子なのか?
七歳の子なのか?

どっちでもいいし、どっちでもない。

子ガラスの餌を探しに出かけては「カア、カア」と鳴き、子ガラスが待つ巣に帰るにつけて「カア、カア」と鳴く。「かわいい、かわいい」と鳴かずにはいられない親カラス。

生まれたわが子を無条件にかわいいと感じる。そういう仕組みが鳥や獣の遺伝子には組み込まれているに違いない。わが子はかわいい。かわいがらずにいられない。それは、次の世代に命を伝えるために野生の動物の遺伝子に組み込まれた仕組み。もちろん、人間にもその仕組みは備わっていたはずだ。

野生の動物は過酷な条件の下で生きている。自分が生きるだけでも命がけなところに子供を産んで育てなければならない。子育ての原動力が「わが子はかわいい!」という感覚ではないか?

「可愛、可愛と烏は啼くの」という言葉に共感していた日本人の多くは、日々の生活が苦しくて、その苦労の中で、「わが子はかわいい!」という感覚に支えられて、突き動かされて、必死に子育てして生きてきた。

その「わが子はかわいい!」という野生の動物に共通の感覚がだんだん薄れているのかもしれない。そして、「七つの子」の歌詞に込められた切ないほどの親心を聞き取れなくなっている。

「子供を産んだことのないくせに何、感傷的なこと言ってるの? 子育てってそんなあまっちょろいものじゃないわよ!」と言われるかもしれない。

実際、わたしは小さい子供が苦手。人間の子供よりは猫のほうに親近感を持っているぐらいだ。

けれど、根拠のない確信がある。自分の子はかわいいに違いない。もしも自分に子供がいたならば、思い通りにならぬ子育てに右往左往しながらも、「わが子はかわいい!」の一念でがむしゃらにがんばるのではないか、という気がする。他人の子はともかく、自分の子はかわいいと感じるように思う。そういう大人でありたい。そういう人でありたい。


 七つの子
  
   野口雨情作詞
   本居長世作曲

 烏 なぜ啼くの
 烏は山に
 可愛い七つの
 子があるからよ
 可愛 可愛と
 烏は啼くの
 可愛 可愛と
 啼くんだよ
 山の古巣に
 行つて見て御覧
 丸い眼をした
 いい子だよ


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2006.06.27

少年時代

5月の日曜日。サンバ友達の弘美ちゃんと二人で、「江東区腕白相撲大会」というイベントに参加した。

会場は都立高校。ここに、江東区内の小学生が700人!とその家族が集まって、1年生から6年生まで、学年別、男女別(女の子だって相撲するんですよ~!)に相撲をするのです。

朝から午後3時ごろまで、体育館では熱戦が繰り広げられます。

そして、出番を待つ、あるいは、残念ながら予選で負けてしまって出番がなくなった子達は、ロビーや中庭に出てきます。

そこには一芸に秀でた(?)おじさん、おばさん、お兄さん、お姉さんが待ち構えていて、子供達を楽しませてくれる、という趣向になっているのです。

ジャグリング芸人のお兄さん。
津軽三味線弾きのお姉さんデュオ。
ベーゴマ遊びを教えてくれるおじさん。

そして・・・

サンバを歌う弘美おばさんとMomokoおばさん!

というわけです。

弘美ちゃんはギターにカヴァキーニョ。Momokoはタンタンを叩いて、サンバを歌ってみんなで盛り上がろう!

太鼓に興味津々の子供達にいいように遊ばれながら、二人はサンバをうたい、太鼓を叩き、子供にシェーカーをプレゼント・・・とサービス精神を発揮してガンバリました。

ひとしきり、みんなで太鼓を叩きっこしたところで、子供達が言い出しました。

「もっと、知ってる歌、うたってよー!」

やっぱりねえ。
子供も大人も、遠い異国の歌、サンバなんて面白くないわけだ・・・

でも、この子達が好きな歌っていったい何だろう? ふだん子供に縁がない弘美&Momokoには見当がつかない。

「じゃあ、どんな歌が好きなのよ?」と回りの子達に聞いてみた。

最初は。

 ドラえもん!
 アンパンマン!

それから。

 カントリーロード!

そして、女の子達が歌いだす。

 翼をください!
 ビリーヴ!

そして、ひとりの男の子が主張した。

 「少年時代」がいい!

え? 少年時代?
まさか・・・あの、少年時代?

にわかに信じられなかったわたしは、「ちょっと歌ってみてよ」と男の子を促した。

すると・・・彼はうたいだしたのです・・・・

 ♪なーつがすーぎ かぜあざみー
 ♪だれの おもかげに さまようー

それはまさしく井上陽水の「少年時代」。

さっきまでわたしの大事な太鼓をドンガン叩きまくっていた男の子が、「少年時代」を口ずさむ。

それは感動の不意打ちだった。

子供達が好きそうな歌はいくらでもありそうじゃないですか。

アニメソング。
CMソング。
ドラマの主題歌。
アイドルの流行の歌・・・・

でも、口のヘラナイ男の子が、「この歌がいい!」と主張したのは「少年時代」だったのです。

*****

5月の最後の日曜日。
とある公民館でギターサークルの発表会を聞きました。
公民館の体育室にはパイプ椅子が並べられ、正面には10名ほどのギターサークルのメンバーが緊張気味にギターを抱えて座っています。

平均年齢は60歳近くではなかろうか。ゆったりと、ゆっくりと、確かめるように、一生懸命ギターを弾く姿に、詰め掛けた家族や友人たちは聞き入っています。

1曲終わるとねぎらいの拍手。

そして、何曲目かに、パッヘルベルのカノンが聞こえてきました。

あら? プログラムにカノンはあったっけ? 予定外の曲なのかな?

不思議に思いながら聞き進むと、パッヘルベルのカノンは「少年時代」へのプレリュードだったのです。

高音部を担当する数人がメロディを美しく歌います。
コードを弾く数人がゆったりと伴奏します。

どの人も気持ちよさそうに、ちょっぴり誇らしげに弾いています。

サークルメンバーの歌心が見事に表われた演奏。

そして、最後にもう一度パッヘルベルのカノンに戻って、静かに終わる・・・

一呼吸おいて、客席から精一杯の拍手が沸き起こりました。それは、さっきまでの「ねぎらいの拍手」ではない。「名演奏」への拍手でした。

*****

井上陽水の「少年時代」。
子供のころの夏休みの心象風景を素直なメロディにのせて歌う。日本人の心に染みる名歌と言えるでしょう。

日本人の心に染みる詩とメロディ。世代を超えて受け継がれる「いい歌」を愛する心。

ずいぶんと古い歌のような懐かしさを感じるけれど、調べてみたら、発表は1992年。14年前の歌だった。

腕白相撲大会の小学生から、熟年ギターサークルのおじ様、おば様たちまでを歌わせた名曲。

井上陽水は、この一曲だけで、日本の音楽史上に名を残すに違いない。


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2006.04.10

カチューシャ 3

第二次大戦の最中、ナチスドイツのソ連侵攻という事態の最中にロシアの人々の間で歌われた「カチューシャ」。戦後の日本でその「カチューシャ」が、夢多き青春の歌という装いで紹介されたのは、なぜでしょうか?

「カチューシャ」が日本語で初めて歌われたのは1948年。この年、共産党系の音楽集団である「中央合唱団」が設立され、その指導者であった関 鑑子が日本語の歌詞をつけました。

中央合唱団は次々とロシア民謡や労働歌、反戦歌を発表し、それらの歌は、各地の労働運動や平和運動の場で歌われていきます。

関 鑑子は、「カチューシャ」が戦中、戦後のロシアでどのような状況で歌われた歌だったかを知らなかったのでしょうか? 

彼女は知っていたはずだ、とわたしは思います。共産主義運動に深くかかわっていた声楽家、音楽家の関 鑑子。たとえ彼女自身がこの歌の背景を知らなかったとしても、彼女の周囲には「カチューシャ」の意味を知っている人がいたはずです。原詩のロシア語を読みこなせる人間もいたはずです。

ではなぜ、関 鑑子は「カチューシャ」に青春歌の詩をつけたのか。

ここから先はわたしの大胆な(?)推理ですけどね。

バリバリの共産主義活動家だった関 鑑子だけれど、中央合唱団のレパートリーの中に、ほっとできる楽しい歌を入れたかったのではないかな。

1948年、中央合唱団設立時のレパートリーには、 「団結、がんばろう!」的な、社会運動を鼓舞する歌が並んでいます。その中に1曲ぐらい、青春歌を入れたいと思ったのではないでしょうか。

終戦直後のヒット曲といえば「りんごの歌」が有名ですね。

 ♪赤いりんごに くちびる寄せて
 ♪黙って見ている 青い空

「カチューシャ」のメロディと、「りんごのと梨の花が咲いた」というロシア語の歌いだしの歌詞を見たとき、関 鑑子の頭には「りんごの歌」が流れたに違いない。そして、「りんごの歌」の大ヒットにあやかって、「カチューシャ」を歌声運動の愛唱歌として広めようという意識が働いたのじゃあないかしら・・・というのがわたしの推理です。


その後、「カチューシャ」は1955年から各地に次々オープンした歌声喫茶で愛唱されます。アコーディオンなどの簡単な伴奏で、歌集を手に手に、日本や世界の民謡や童謡、唱歌、歌曲をみんなで歌う「歌声喫茶」は都会で生きる若者達の出会いの場であり、心の支えでもあったでしょう。


さて。

Momokoライブでのリクエストに話を戻しましょう。

「カチューシャ」をリクエストされたおじさまは、青春時代に歌声喫茶に通われていたのでしょう。歌声喫茶を懐かしむ人は少なくなく、各地で歌声喫茶の歌集を持ち寄って歌う会、という催しが開かれています。

関 鑑子がつけた「カチューシャ」の日本語の歌詞は、確かに、オリジナルの歌詞からも、ロシアの時代背景からもかけ離れたものです。

でも、戦後の日本の庶民に歌い継がれてきた日本版「カチューシャ」は、日本人の愛唱歌、心の歌と言えるでしょう。そして、混乱の戦後から高度経済成長を生き抜いてきた世代には、青春の懐メロの一つなのですね。

4月のライブでリクエストされた「カチューシャ」。5月のカフェ・ド・ノーブルライブで歌います。「2ヶ月待ちが当たり前」のMomokoへのリクエストですから、異例の速さ(?)でおこたえいしちゃいます。

歌集を手に手に、肩寄せあって次々と歌っていた歌声喫茶の情景を思い起こしながら歌いましょう。

 りんごの花ほころび
 川面に霞たち・・・・・

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2006.04.06

カチューシャ 2

カチューシャというのはロシア語の女性の名前、エカチェリーナの愛称です。日本では、トルストイの名作「復活」のヒロインの名前として有名。

大正時代に日本で大流行した「カチューシャの歌」という歌があります。
これは、トルストイの「復活」を芸術座という新劇の劇団が上演したとき、劇中でカチューシャ役の松井須磨子が歌った歌でした。

 ♪カチューシャかわいや 別れの辛さ~

そのときに女優、松井須磨子が頭につけていたヘヤバンドも大流行したのですね。

それが、カチューシャ。

でも、ロシア民謡の「カチューシャ」のカチューシャは、トルストイの「復活」のヒロインでもヘヤバンドでもありません。

そうそう。今、「ロシア民謡の」と書きましたが、この歌は民謡ではありません。1942年、ブランテルという名のロシア人が作曲した、当時の流行歌、歌謡曲です。

1942年。第二次世界大戦のさなか。前年に始まったドイツ軍のソ連侵攻に立ち向かったソ連軍が用いた兵器。

それが「カチューシャ」です。

カチューシャとは、多連装ロケットランチャー(ロケット弾発射装置)のこと。軍用車に搭載した兵器。ドイツ軍を苦しめたというこの兵器は、ドイツ兵からは、その容貌と発射音から「スターリンのオルガン」と呼ばれていたそうな。

「カチューシャ」がロシアで流行したころは、まさにこの兵器「カチューシャ」でソ連兵が必死の戦いをしていた時期です。

では、戦時中のソ連兵、ソ連の市民たちに盛んに歌われた「カチューシャ」という歌は、どんな歌詞だったのでしょうか?

田部春雄さんという方が原詩を訳されたものをご紹介します。

*****

りんごと、なしの花が咲いた 
川もに霧がたちこめた
川岸にカチュ-シャが現れた 
高く切り立った崖の上に

現れ出て歌を歌い始めた
大草原のハト色のワシについての歌を
愛するものへの歌を
その人の手紙を大事にもって

おお、歌よ、おとめの歌よ
明るい太陽の後を飛んでいけ
そして遥かな国境の兵士に
カチュ-シャからの挨拶を伝えてよ

彼に純朴なおとめを想いださせよ
そして彼女がどう歌っているかきかせよ
彼にふるさとの大地を大事にさせよ
カチュ-シャは愛を大事にするよ

*****

1942年。
ドイツ軍のソ連侵攻のさなか。
カチューシャという名前の兵器で死闘を続けるソ連兵士。
そして、兵士達の恋人や家族。

彼らがこの歌をうたうとき、ドイツ兵に向けられたソ連製兵器「カチューシャ」と、愛する人を遠い戦場へと見送らねばならないカチューシャの嘆きとがオーバーラップしたことは想像にかたくありません。

「カチューシャ」

この歌は、第二次大戦中のロシアの人々が、ドイツ軍侵攻に立ち向かうために、自らを勇気付け、奮い立たせるためにうたった歌だったのですね。

原詩を訳された田部春雄さんは、第二次大戦終了後の三年間をロシアの収容所で送ったという経験の持ち主です。
ロシア人兵士が、勝利の歌として「カチューシャ」をうたうのを毎日のように聞いたそうです。

現在のロシアの人たちが、「カチューシャ」をどの程度知っているのか、どんな気持ちでこの歌を聴いたり、うたったりするのかはわかりません。

が、1945年前後の数年間、ロシア人たちがこの歌を「戦争を生き抜く歌」として歌っていたことは確かです。

その「カチューシャ」が、なぜ、戦後の日本の歌声喫茶で愛されるようになったのでしょうか?

「カチューシャ」追求はまだまだ続きます・・・・


*****

「カチューシャ」の原詩を訳された田部春雄さんが書かれた「ロシア民謡」という文章をご紹介します。

「カチューシャ」をうたい続けてきた田部さんが、過去を振り返って揺らぐ思いがつづられている力作です。

「ロシア民謡」

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2006.04.05

カチューシャ 1

「リクエストがありましたら遠慮なくどうぞ。ただし、Momokoへのリクエストは大学病院の予約並み。二ヶ月待ちが当たり前~」

なーんてことを言っているMomokoにリクエストがやってきた。

「りんごの花が咲くちょうど今頃の歌なんですけどねえ・・・」
「何でしょう?」
「カチューシャの歌って言うんですが・・・」
「どんな歌でしたっけ・・・・?」

居合わせたおじ様たちが歌いだしました。

♪カチューシャ かわいや
♪別れの辛さ~

「これに、りんごの花、出てきましたっけねえ・・・・?」
「あの、昔、歌声喫茶でよく歌った歌なんですが・・・」
「歌声喫茶といえば・・・・」

居合わせたおじ様たちが別の歌を歌い始めた。
毎回喫茶店に集まってくださるおじ様達はいろんな歌を知っているらしい。

♪りんごの花ほころび
♪川面に霞たち

「ああ、それならMomokoも知ってます!」

続きをいっしょに歌いました。

♪君なき里にも
♪春は忍び寄りぬ

「そうそう、それです。りんごの花が咲く今頃にちょうどいい歌ですよねえ」
「そりゃ、そうだけど、Momokoへのリクエストは2ヶ月待ちなんで・・・・」

結局その場は一番の歌詞をみんなで歌っておしまいにした。
家に帰ったら調べてみよう。


日本語の歌、それもかなり古い歌をよく歌うわたしは、「日本の名歌」「世界の名歌」という歌集を持っている。

「りんごの花ほころび・・・」はロシア民謡だったよね。じゃ、「世界の名歌」に載ってるはず・・・

あった、あった。
カチューシャ! これ、これ!


 りんごの花ほころび
 川面に霞たち
 君なき里にも
 春は忍び寄りぬ

 岸辺に立ちて歌う
 カチューシャの歌
 春風優しく吹き
 夢が沸く美空よ

 カチューシャの歌声
 はるかに丘を越え
 今なお君をたずねて
 優しその歌声
 
 りんごの花ほころび
 川面に霞たち
 君なき里にも
 春は忍び寄りぬ


ふむふむ。
メロディは知ってるし、歌詞も半分ぐらいは知っているし、コードは簡単だし、ギターで弾くとちょっといい感じ。

短い歌でもあり、一日で弾いて歌えるようになった。

ただ・・・・

10回、20回と歌っているうちに、歌詞に納得がいかなくなってきたのです。

カチューシャというのは女性の名前だよね。「君」というのは恋人でしょう。恋人が遠くへ行ってしまって、一人寂しく岸辺に立って歌うカチューシャの歌。

でも・・・・

なんか、こう、しっくりこない。
恋人が遠くに行ってしまったというのに、どうして
「夢がわくみ空よ」なんてのどかに歌っているんだろう?
なんだか中途半端な歌詞だなあ・・・
いったい、オリジナルのロシア民謡はどんな歌だったんだろう?


調べてみました。
そして、ロシア人がこの歌を歌っていた背景に行き当たって、「その時歴史が動いた」のクライマックスを見たような衝撃を受けたのです。

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2005.11.30

今なら歌える・・・旅立ちの歌

今回はお休みしようかな・・・ なんだかこのところ忙しいし。それに、他にも練習したい曲はいっぱいあるし・・・

そうなんです。今度の日曜日は、時々遊びにいくライブレストラン、HOTコロッケの"さだナイト"。さだまさしファンが集まってさだまさしの歌だけを歌うイベントの日なのです。

熱烈なさだまさしファンってわけではないけれど、いい歌がいろいろあるから歌ってみたいな、と思い、数ヶ月に一度やってくる"さだナイト"ごとに1曲ずつ覚えて歌ってきました。

道化師のソネット
セロ弾きのゴーシュ
胡桃の日

そして今度の日曜日。4曲目を覚えて遊びに行こうと前々から予定していたのだけれど、なかなか"さだナイト"に気持ちが向かないうちに今日になってしまった。

今回はお休みしちゃおうかな。ポルトガル語の勉強もしたいし、クラシックギターの練習もしたいし、他にも覚えたい歌はいっぱいあるし・・・


2,3日前、山口百恵のCDを借りてきました。山口百恵と同じ歳のわたしにとって彼女の歌は10代から二十歳ぐらいの日々とオーバーラップする歌。。同じ年でありながら自分よりも遥かに大人に見えた彼女は憧れの対象だった。木曜日の夜のTBSの"ザ ベストテン"に登場する彼女は本当にかっこよかった。歌というドラマを演じきる彼女。スターと言うのは彼女のような人を言うのだろうな・・・ テレビの中の彼女に熱い視線を向けていたっけ・・・・


ひと夏の経験
横須賀ストーリー
夢先案内人
イミテーションゴールド
乙女座宮
いい日旅立ち
美・サイレント
しなやかに歌って
ロックンロールウィドウ
さよならの向こう側

「百恵辞典」という3枚組みのCDから聞こえてくる歌の数々・・・

そして。この歌。

この歌は、世代を超えて多くの日本人の心を捉えたのではなかろうか。お嫁入り前日の母と子のやりとり。当時としてもちょっと古風な歌詞だったように思うけれど、その古風な言葉と、憂いを帯びた表情でこの歌をうたう彼女に、「娘というのはこうあって欲しい」という願望をかきたてられた大人は多かったろう。

その、あまりにも「いい娘」ぶりがわたしにはちょっぴり疎ましくて、この歌はあまり好きになれなかった。

22歳でスパっと結婚した山口百恵。それから二十数年。彼女らしく年を重ねているらしい。同じ年のわたしは彼女のようにスパっとかっこよくはないけれど、それなりに年齢と経験を重ねてきた。嫁に出す娘がいてもおかしくない年齢になりつつある今、素直に「ひとりの女性の旅立ちの歌」として聞ける自分に気がついた。

まだ間に合うかな。今度のさだナイト歌ってみようかな。

作詞作曲さだまさしの「秋桜」


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2005.10.27

花とおじさん

「花とおじさん」

弘美ちゃんとわたしはこの歌をこう呼んでいた。サンバに出会って間もないころ。ポルトガル語のタイトルがさっぱり読めないころだった。「花とおじさん」・・たしかそんな歌が日本にあったような・・・とにかく、元のタイトル"O Velho E A Flor"(老人と花)の意味と当たらずと言えども遠からず、の呼び名ではないですか。

トッキーニョとヴィニシウス・ジ・モライスの二人が歌う「花とおじさん」。ひとりは最初から最後までメロディを歌い、もう一人は後半のメロディだけを繰り返す二重唱。そして、合間のピアノソロが、サンバばかり聴いていたわたしにはとても新鮮だった。ブラジルの歌にも、こんな風にちょっぴり都会の夜の匂いがするピアノが聞こえてくる歌があるのねえ・・・・

これは二人のお気に入りの歌になり、弘美ちゃんがギターを覚えて、二人で二重唱をした。あるとき、ブラジル人のスルドおじさん、ダミオンの前で歌って「わたしたちのポルトガル語、わかる?」と聞いたら、「マイス オウ メーノス」(まあまあね・・)と言われてしまった。あのころは、二人ともポルトガル語の歌詞の意味などほとんど知らずに歌っていたのです。

歌詞の意味。ポルトガル語の詩を読み解くにはわたしのポルトガル語力はまだまだ不十分だけれど、あのころよりは知っているポルトガル語の単語が増えたぶんだけ、歌の意味を推測しやすくなった。

今のわたしはこの歌の歌詞をこのように
推測しています。


 世界じゅうを旅して
 詩人や王様に出会っては聞いてみた
 今度こそ答えを教えてくれると期待しながら。
 「愛とは何か」という問いの答えを

 でも、だれも答えを知らなかった。
 死ぬまで探し続けようと思っていた。
 でもある日、ひとりの老人が語ってくれた。

 愛とは、たとえて言えば花のようなもの。
 優しく、そして、棘がある。
 花が開くとき、それは
 血を流して生きる生の始まり。


「星の王子様」を思い出させるような問答。愛とは何か、その答えを語ってくれたのは詩人でも王様でもなく、一人のおじいさんだった・・・おじいさんは「愛とは何か」など大上段に語ったのではないかもしれない。若者相手にちょっぴり年寄りくさい説教をしたのかもしれない。酔っ払っていたのかもしれない。どこかの街角のおじいちゃんの一言。「愛? いとおしくて、でも棘があるねえ・・・」 捜し求めていた答えはこんなところにあった。そんな歌じゃないのかな・・・

と、知ってる単語を元に想像たくましくしながら、久しぶりに歌ってみた。

ギターを弾きながら何度か歌ってみてふと思いついた。「愛はいとおしくて、棘があるものだ・・」と、右手の親指で語ってもらおう。おじいちゃんの何十年かの「血を流しながらの」人生。さらさらときれいに弾き流してしまわずに、右手の親指をしっかり鳴らして、ちょっとくどいおじいちゃんになって語ってもらおう。

だって、この歌は、「おじいさんと花」。主役はおじいさんなのだから・・・

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2005.10.21

恋に恋する歌、カリニョーゾ

「わたしの心は・・・」で始まり、「わたしの心は・・・」で終わる美しい歌、カリニョーゾ。この歌のギターを教わったのは、ギターを弾き始めて2年目のころだったろうか。

弘美ちゃんが、「わたしがいちばん好きな歌です」と言って、ライブで必ず歌うカリニョーゾ。ブラジルの第二の国家といわれる名曲カリニョーゾ。弘美ちゃんが歌うカリニョーゾは日本で聞ける最高のカリニョーゾではないかとわたしは思う。


何年も前のある日のこと。

「ねえねえ、カリニョーゾのギター、覚えて伴奏してよー」と弘美ちゃんが言い出した。彼女もわたしも、ギターを習い始めて2年目ごろだったろうか。彼女は、大好きな歌を歌いたい一心で、サンバのセンセイに頼み込んでカリニョーゾのギターを教わったものの、弾きながら歌うのはまだまだ大変そうだった。そのころ、いっしょに二人であちこちで歌っていた、その相方のわたしに「伴奏してよ」とお声がかかったのである。

きれいな歌です。ギターの伴奏も美しい。弾けるようになったら楽しいだろうな。わたしもサンバのセンセイに頼み込んで教えていただいた。

一通り弾き方を覚えたころに所用で松山に出かけることになった。当時は仕事が忙しく、ギターの練習にまとまった時間を割くことがなかなかできなかった。「松山に行けば、空いている時間にカリニョーゾの練習ができそうだ。そうだ、ギターを持っていこう!」 ハードケースに入れたギターを飛行機の隣の座席に座らせて、ギターと二人連れで松山へと旅立った。

予定の用件は一日目の夜までにすべて終了。翌日の午後、飛行機に乗るまでは自由の時間である。ホテルをチェックアウトすると、曇り空の少し肌寒い松山の街を、ギターを弾けそうな場所を求めてうろついた。そしてたどり着いた松山城近くの神社。閑散とした境内の石段に腰をおろすと、ギターを取り出して練習を始めてみる。

カリニョーゾのギター。次々と変わっていくコードは流れるように美しい響き。合間あいまに入る単音のメロディが片思いの切なさを物語る。センセイのように、カリーニョーゾ(愛情深く)のように弾けたらどんなに満たされることだろう・・・・

しかし、簡単なコードを押さえるのもおぼつかなかったわたしには、カリニョーゾのギターはあまりにも難しかった。石段に座るお尻がそろそろ痛くなって、薄ら寒い風に体がブルブルと震えるころ、ため息をついて立ち上がった。そろそろ飛行機の時間も気になる。喫茶店で暖かい珈琲を飲んで、松山の街を後にしたのでした。

それからしばらく経って、なんとかかんとか弾けるようになったカリニョーゾ。弘美ちゃんの伴奏で何度かライブで弾いたことがある。

「きょうのカリニョーゾのギターは何点でしょう?」
「そーだねーー、45点ってところでしょーか」
「あ、このあいだより5点上がりましたねー」

なんてオバカなやりとりを二人でしながら、あちこちで弾いたカリニョーゾ。


あれから何年も経って。弘美ちゃんは、自分のギターで、心を込めてすばらしいカリニョーゾを歌うようになり、わたしのギターの伴奏は必要なくなってしまった。

カリニョーゾ。

あなたに恋い焦がれるわたしの熱い熱い胸のうちをあなたが知ってくれていたならば、あなたはきっとそばにいてくれるだろうに・・・・

という切なくも熱烈なラブソング。ブラジル人なら老若男女誰でも知っている歌、カリニョーゾ。そして、誰かが歌いだすと必ずと言っていいほど大合唱になってしまう歌、カリニョーゾ。

わたしも歌ってみたいとずっと思っていた。弘美ちゃんの伴奏をしていたころよりは、ちょっとだけ上達したギターで歌ってみたいと思った。

でも・・・・

イントロを弾いて、歌の始まり、「メウ・コラサオン・・・」のアルペジオを弾き始めると、わたしの頭には弘美ちゃんの歌が流れてしまう。奥行きのあるよく響く声で、まっすぐに、暖かく歌う弘美ちゃんのカリニョーゾ。彼女がこの歌を歌うと、聞く人はみな心打たれてシンとなる。

ああ、わたしは、彼女のようには歌えない。誰だって、彼女のカリニョーゾの方がいいと思うに決まっている。わたしにはこの歌はうたえないのだろうか・・・・わたしのカリニョーゾはないのだろうか・・・


ある日。ギターを抱えたわたしは、何気なくカリニョーゾを歌ってみた。すると、なぜか、まぶたの内側に、昔むかし見たテレビドラマのワンシーンが映る。昭和の時代の木造の家の物干し場。境正章と浅田美代子が並んで座って歌っている。その挿入歌はたぶん、「赤い風船」・・・

恋に恋する女の子ごころを、普段着姿のアイドル浅田美代子が物干し場で歌う。

 ♪あの子はどこの子 こんな夕暮れ
 ♪しっかり握り締めた赤い風船よ
   ・・・
 ♪こんなとき誰かがほら
 ♪もうじきあの、あのひとが
 ♪来てくれる、きっとまた
 ♪小さな夢持って

そうだ。カリニョーゾは恋に恋する歌かもしれない。ブラジル人は、この熱烈な片思いのラブソングを大きな声で大合唱しながら、この歌のような熱烈な恋、ブラジル人にとっての理想の恋を夢見ているのではないかしら? 

恋に恋する歌。これなら、歌えるかもしれない。
そう、恋に恋する女の子になって歌ってみよう。

「わたしの心は・・・」で始まり「わたしの心は・・・」で終わる恋の歌、カリニョーゾ。

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2005.09.05

「涙そうそう」に本物の涙を添えて

来月のギターの発表会で、生徒全員が合奏する曲がある。なにしろ「全員」だから、わたしも覚えて弾かなければならない。正直なところあまり気が進まなかった。大して好きではない曲を暗譜して練習するのはとても億劫。

しぶしぶ練習を始めた。曲は「涙そうそう」。二十数人の生徒達は、それぞれのギター歴に応じて「メロディ」「伴奏」「ソロギター」のいずれかの譜面を渡されて練習することになっている。わたしは、いちばん手っ取り早く覚えられそうな伴奏の譜面をもらってきた。

ハ長調。最初のコードはC。そこからベースラインがC→B→A→G→F→Eと降りていく。抑え方はきわめて簡単なのだけれど、なかなかきれいな伴奏になっている。ギター教室の先生が作ってくれる楽譜は、左手の押さえ方が簡単で、しかも弾いてみるとなかなかきれいな音を選んであって、楽しい楽譜が多いのです。

さて。涙そうそう。何度か弾いているうちに、メロディを口ずさんでみたくなった。鼻歌でフムフム歌いながらアルペジオでコードを弾いているうちに、鼻歌ではなくてちゃんと歌いたくなってきた。楽譜には歌詞がついている。ついでに歌も覚えてしまおう。

何十回か、ギターを弾きながら歌っているうちに、なんとか歌とギターを覚えたようだ。そして、まだまだ何十回も歌いたい気分になってきた。

なんと言ったらいいだろう。コードを順番に弾きながら歌詞をメロディにのせて歌っていると、その行為自体で自らが慰められるような、そういう歌だった。そして、何十回目かの「涙そうそう」で、わたしは本当に涙を流してしまった。

来し方を振り返れば、あの時出合ったあの人、この人。友達として、先生として、先輩として出会った人たち。出会いの形はいろいろだったけれど、その人なりの優しさでわたしを支えてくれた人たち。そして、今はもう会えなくなってしまった人たち。この世を去ったひとも何人か。そういう人たちへの思いが、「涙そうそう」の言葉とメロディとギターのコードにオーバーラップして、わたしを包んでいく。

晴れ渡る日も雨の日も
浮かぶあの笑顔
思い出遠くあせても
面影さがして
よみがえる日は涙そうそう・・・

必ずしもドラマチックな場面を思い出すわけではない。あのとき、悲喜こもごもの日常をともにしていたあの人。この人。穏やかで平凡な日常。そのときは気がつかなかった彼、彼女の存在の暖かさが、何年もの時を経た今、よみがえる。

さみしくて
悲しくて
君へのおもい 涙そうそう

会いたいと思うときには、その人はもういない。そんな思いを今まで何度もかみ締めてきた。そしてきっとこれからお・・・

会いたくて
会いたくて
君へのおもい 涙そうそう

誰にも、忘れられない出会いと別れがある。
この歌が人々をひきつけるのは、出会いと別れの切なさを穏やかに歌うところにあるのだろう。

会いたくてももう会えない人々への思いを胸に、今宵、もう何十回か歌ってみよう。

涙そうそう。

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2005.07.03

わたしのフェスタ・ド・インテリオール

違うんだってば!

心の中で叫んでいた。大好きな歌。フェスタ・ド・インテリオール。これもまた大好きな風船を手に持って歌いながら、「違う違う! わたしが歌いたいフェスタ・ド・インテリオールはこれじゃない! 赤い風船が似合うフェスタ・ド・インテリオールはこうじゃない!」と心の中で叫んでいた。

フェスタ・ド・インテリオール。マルシャのメドレーの定番の歌。わたしも、この歌を歌いながら踊るのが大好きだった。元気一杯に大声で歌うのが大好きだった。

でも、いつもどこかに違和感を感じていた。本当にこんな風に歌いたいの? こんなに大きな音が欲しいの? サンバは、フレヴォーは、マルシャは、大きな声で歌わなきゃいけないの? 

わたしに歌えるサンバはないの?
わたしに歌える楽しいマルシャやフレヴォーはないの?
赤い風船を持って、のどかに歌うマルシャはないの?
優しい声で軽やかに歌うサンバはどこにあるの?

混乱を抱えたままサンバのセンセイのところに行ってみた。

「あのね。大好きなフェスタ・ド・インテリオールを、わたしらしく歌いたいんだけど、どうしたらいいの?」と聞いてみた。

「Moraes Moreira を聞いたこと、ある?」
「誰? そのひと・・・」
「フェスタ・ド・インテリオールを作った人」

何と言うことだろう。大好きなフェスタ・ド・インテリオールの作曲者の名前をわたしは知らなかった・・・

「いっしょに見てみようか。とっても楽しいから・・・」

そして、センセイと見たMoraes Moreira のDVD。

一曲目は"Canta Brasil"
ステージにはMoraes Morais ただひとり。ガル・コスタの熱唱で有名なこの歌を、そしてサンバのライブではパーカッション総動員で、「できる限り速く」という速度記号が譜面に書いてあるかのごとくに賑々しく歌われるこの歌を、彼はギター1本で、まるで懐かしいフォークソングでも歌うようにさりげなく歌う。かっこもつけず、叫びもせず、ただただ普通の声で歌う。

それでも、彼の歌うCanta Brasil は心地よいサンバ! ほっぺたが緩んでしまう、体が動いてしまうサンバ! のびのびと歌いながらも、ズンズンと前に進んでいくサンバ!

「カンタ・ブラジル・・・・こんな風に歌ってよかったの???」
「そう。みんな速く歌いたがるけどね。」
「こんな風に歌っていいのなら・・・歌っていたのに・・・・あきらめていたのに・・・カンタ・ブラジル・・・」

そして。

パーカッション、ドラム、ギター、ベース、トロンボーン、アコーディオン、バイオリンやチェロという編成でMoraes Moreira が歌うフェスタ・ド・インテリオール。

あなたは、どうしてわたしのイメージの中のフェスタ・ド・インテリオールを知ってるの? と聞きたくなるような歌だった。

フェスタ・ド・インテリオール。田舎のお祭り。夏の終わりのブラジルの6月。サン・ジョアンのお祭りの日に、広場に集まって、焚き火を燃やして、子供達はつぎはぎの田舎者の衣装を着て、大人達は甘くて強いお酒「ケンタオン」を飲み、みんなでフォホーを踊る・・・ 

フェスタ・ド・インテリオール。「夢の世界の戦争のお話。爆弾が破裂して飛び出したのは愛だった」と歌う。花火がドーンと上がって、ハート型の花が夜空に咲くような、のどかで、ユーモラスで、かわいい歌。

そのフェスタ・ド・インテリオールを、作曲者Moraes Moreira は、その通りにのびのび愉快に茶目っ気たっぷりにギターを弾いて歌う。大勢のバックのミュージシャンも、皆、優しい音で叩いている。弾いている。軽やかに楽しげ。決して大音響というわけではない。けれど、聞いていると、いっしょに焚き火の回りの輪に加わってフォホーを踊りたくなる。

なんて普通で、何て楽しいんだろう!

こんな風にやマルシャやフレヴォーをを歌えるのね。
こんな風に楽しいサンバを歌えるのね。

Moraes Moreira

ジョアン・ボスコのように奔放でもなく。
ジョイスやガル・コスタのようにかっこよすぎず。
ルイス・ゴンザーガのように泥臭くなく。
ベチ・カルバーリョやアルシオーネのような迫力の声でもなく。
ごくごく普通のギターと歌で自分の世界をつくってしまう。軽やかで、歯切れよくて、ユーモラスで。優しくて暖かく。そして、丁寧に作られた世界。

ずっと求めていた世界を見せてくれたと思った。漠然と「こうなりたい」と思いつつも、具体的な形が見えなかったイメージの、ひとつの答えを見せてくれたような気がした。

わたしは、わたしの声とギターで、自分の世界をつくろう。ほのぼのと暖かくて、時にはおかしくて、時には切なくて、そして、わたしのほっぺたも、聞いてくれる人のほっぺたも緩んでしまうような音楽をつくろう。

きっと歌えるにちがいない。

わたしのフェスタ・ド・インテリオール。
わたしのサンバ。
わたしの歌。
わたしの世界。

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